台風が過ぎた後に
見た目、立派な大木が、
根元から、ボキッと
折れてしまっていたのが
けっこう、たくさんありました。
逆に、本当に小さな
弱そうな木でも
何事もなかったように
いつも通りにたたずんでいる
そんなことがありますね。
そういうのをみる度に
見た目の立派さよりも
芯の強さが大切なんだなと思います。
見た目の立派さよりも芯の強さ
まさに人間でも同じです。
見た目にはいかつくて、
大きくて、筋肉質の立派な人でも
案外、メンタルの面で弱い人って、
かなりの数、いらっしゃるようです。
何を隠そう、私もその一人です。
というか、その一人でした。
もちろん、今でもそんなに強くはないですが
以前よりはたくましくなったと思います。
それは、一つは経験によるものですが
それ以外に、トレーニング、技術に
よるものもあるように思います。
特に叱責された時の対応
特に叱責されたような時ですね。
叱責する側の人は、たいていの場合、
正しい人の叱り方を知りません。
なので、すぐに
「おまえはだめだ。」
というように、その人を
全面的に否定するような言い方をします。
でも、正しい叱り方というのは
その人を全否定するのではなくて
部分否定で叱ることがポイントです。
「今回は、あなたのこういうところがだめでした。」
というように、だめだったポイントを
その部分だけを指摘する、
その部分だけを叱るということです。
部分否定と全否定
その部分がだめだったら
その人全体がだめかといえば
決してそんなことはないわけです。
叱っている側の人間だって
いくらでも欠点はあるわけです。
その欠点一つをとらえて
「あんたはだめだ!」
なんて全否定されたら、
世の中の人は全員だめな人間になってしまいます。
しかし、現実の社会では
正しい叱り方をしらないばっかりに
無意識のうちに、自分のまわりの人たちを、
「だめ人間」ばかりにしてしまっている
不幸な指導者をよくみかけますね。
叱り方を知らない指導者
正しいやり方を知らないだけとは言え
そういう人を指導者に
してしまっている会社は
かなり難しい状態だろうと思います。
逆に、叱責される側からすると
何を叱られているのかを
ピンポイントで理解しようとすることです。
自分を全否定されているわけではありません。
もし、どう解釈しても、
自分を全否定されているとしか思えない
そういうことなら、
そんなところにいてはいけません。
とっとと、別の場所に行くことです。
でも、たいていの場合は
叱る側の技術が足りないだけです。
言葉も足りないし、思いやりも足りない
人を指導する立場として
足りないことだらけです。
指導者の技術が足りていないことが多い
でも、そういうのが今の社会であり
そういう組織が多いのが現実です。
そういう方々を反面教師として
やっていくのがいいですね。
自分が指導する側に回ったときに
自分が味わった嫌な思いを
後輩には感じてもらわないようにするためです。
まあ、「反面教師にする」という言葉ほど
便利な言葉で、かつ、実際には
実行が難しい言葉はないと思います。
でも、そう考えていくのが
一番の近道かなと思いますね。
いずれにしても、折れない心を
作るためにも技術というのがあります。
メンタルにもトレーニングがあります。
気合いだけで強くなるものではありません。
気合だけでは強くなれない
体を鍛えるようにメンタルも鍛えられますね。
叱られたときに、これは
自分に対する全否定ではなくて
ある部分の部分否定と理解する。
これも一つの技術です。
もし、ご存じなければ
取り入れてみてはいかがでしょうか?
ムッシュスカラー