あたりまえは、あたりまえじゃない?

水道をひねれば水が出る。
スイッチを入れれば灯がつく。
街は、きれいでゴミは落ちていない。
これが、私たちの当たり前ですね。

というか、日本という国の
一般的な風景という感じでしょうか。
いわゆる、あたりまえのことです。

でも、このあたりまえは
実は、あたりまえではありません。

もし、誰もが、何もしないで
ぼーっとしているような状況だと
このあたりまえは、維持が出来ません。

水道をひねれば水が出る?
これも、自然にそうなったわけではありません。
上水道を完備したからこそ出来ることです。

まずは浄水場を設置して、
そこから、上水道としての
水道管を配管することが必要です。

そうやって、
各家庭の蛇口まできれいな水を
送ってくれているから
水道の蛇口をひねれば
常に水が出るわけです。

自然の川の水を、そこまで行って、
直接飲むのとは、全く違います。
大勢の人が関わっています。

大勢の人が関わっている

スイッチをひねれば
灯がともる。
これも同じことです。

水力、火力、原子力、
その他さまざまな方法で
発電した電気を、
各家庭まで電線を使って
電気を供給しているからこそです。

これも、自然に、勝手に
電気が手に入るわけではありません。
あたりまえではありません。

街はきれいでゴミが落ちていない。
これも、自然に
そうなっているわけではありません。

誰も何もしないでほおっておけば
ゴミはいくらでも
街の中にあふれていきます。
というか、まずは、
家の中にゴミがあふれますね。

それで、耐え切れなくなって
家の外にゴミを出すようになるわけです。
そうすると、街中がゴミで
あふれるようになりますよね。

でも、今、街中が
ゴミであふれていないのは、
ゴミを集めて処理をしてくれる人が
どこの街にもいるからです。

これも、あたりまえと考えていますが
自然にそうなっているわけではありません。

自然にそうなっているわけではない

このように、私たちが
あたりまえだと感じていることの中には
自然にそうなっているわけではないことが
たっくさんあります。

手に持っているものは、
手を離せば、下に落ちる。
これはあたりまえです。

これは、重力が
はたらいているからです。
地球上のどこであっても、
誰がやってもそうなります。

こういうのは、本当の意味での
あたりまえということでしょうか。
自然界の法則ですね。

でも、冒頭に書いたような
水道、電気、ゴミに関することは
地球上のどこで、誰がやっても
同じになるようなことではありません。

すばらしい環境が
あたりまえのように
維持できているのは、
そこに、たくさんの人が関わって、
あたりまえでないものを、
あたりまえにするための仕事を
しているからですね。

あたりまえというのは、
直接は目に見えなくても
多くの人が、多くの役割を
分担することで
成立しているというわけです。

役割分担で成立している

そこを考えれば、
いろいろなことが、
あたりまえにできることについて
「ありがたいなあ」
という素直な気持ちが
出てくるんじゃないかと思います。

最近、不満ばっかりが
口に出やすい雰囲気がありますね。

でも、あらためて、
「あたりまえ」を深堀りすることで
自分が、どれほど恵まれた環境で
生活しているのかを認識できます。

そうすると、不満ばかりで
パンクしそうになっていた気持ちが
少しはやわらぐのではないでしょうか。

そうなれば、表情も、言葉も
やわらかくなるのかもしれませんね。

眉間にしわを寄せて、
怖い顔をして、物騒な言葉を
口にしているよりは、
ずっといいですよね。

 

ムッシュスカラー

 

PS:顔の表情も、口にしている言葉も、その人の内面がにじみ出てくるものです。外観というのは大切ですし、言葉も大切ですね。外見はどうであれ、中身さえよければそれでいいんだという考え方もありますが、中身をわかってもらおうとすれば、まずは外見を受け入れてもらう必要があります。中身を理解してもらうのはそれからですね。

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