間違っていたら、誰かが教えてくれる。
間違っていたら、誰かが修正してくれる。
最後は、誰かが何とかしてくれる。
だから、細かいことは気にしないで、仕事は、ざーっと適当にやっていってかまわない。
会社に勤めていると、そんなふうに考えてしまいがちですね。 “誰かが助けてくれる?” の続きを読む
若い世代へ引き継ぎたいこと
間違っていたら、誰かが教えてくれる。
間違っていたら、誰かが修正してくれる。
最後は、誰かが何とかしてくれる。
だから、細かいことは気にしないで、仕事は、ざーっと適当にやっていってかまわない。
会社に勤めていると、そんなふうに考えてしまいがちですね。 “誰かが助けてくれる?” の続きを読む
テレビのクイズ番組で、よくあるパターンです。
「さて、この問題の正解は?」
ドラムロール、ジャーン
「正解は、これです!」
それを見て、「ヤッホー、正解だ!」と喜ぶか、「ああ、間違えた。」とうなだれるか、そういうのが世間一般でよくみられる風景ですね。 “正解は一つ?” の続きを読む
「一事が万事」という言葉がありますね。この言葉の意味というか、言いたいことについては間違っているとは思いません。でも、使われかたによって、いろんなとらえ方が出来る言葉だなと思います。
というのも、私がこれまで、この言葉を聞いたのは、多くが、次のような場合だからです。 “一事が万事” の続きを読む
先日のブログでも書きましたが,私が小学生の頃は,田舎に住んでいました。それで,一緒に小学校に通っていた仲間たちと,近くのみかん山の中を走り回っていました。(ちなみに冒頭の写真はみかん山ではありません。)
当時のみかん山というのは,特別に柵や囲いがあるわけではなかったと思います。いや,もしかして柵や囲いがあったのかもしれませんが,私たちが走り回っていたみかん山にはそんなものはありませんでした。 “みかん山” の続きを読む
何か自分の考えを言った時に,賛成してくれる人と反対する人は半々と考えておくと良さそうです。もちろん,実際には,賛成,反対は,きれいに50%ずつになるというわけではありません。賛成の人がいれば、必ず、反対の人もいるということです。
で,時々ですが,「反対されるのが嫌だ。だから自分の意見は言わない。」という人がいらっしゃいますね。自分の意見を否定されるのが耐えられないという感じなんでしょうか。あるいは自分の意見が絶対に正しいということを信じていらっしゃるからでしょうか?でも,嫌であっても,嫌でなくても,かならず反対する人がいる、それが普通だということですね。 “何でも半々” の続きを読む
最近,勉強するときに実感することがあります。それは、1回ではダメだということですね。いろいろな本でも,音声教材でも,動画教材でも,1回では頭に残らないんです。
若い時にはそんなことは無かったはずなんです。でも,もしかしたら、若い時も、本当は、1回では頭にはいっていなかったんじゃないか、と少し疑っているところです。 “1回では無理” の続きを読む
先日、ブログに書いた「モンテクリスト伯」、読了しました。
(パチパチパチ、私の拍手です。)
やっぱり相当に長い物語でしたが、途中からは本当に引き込まれて、時間があれば読むという状態になってましたね。なので、予想よりはかなり早い読了でした。
で、本の感動はさておき、本の最後のあとがき(年譜)のところに、次のような記載があったんですね。(部分的な抜粋です。) “書くことは読むこと?” の続きを読む
とある事情から,ひさびさに,仕事で多くの人とリアルで(対面)でお会いしました。ここしばらくは,リモートによるコミュニケーションがほとんどでしたので,ちょっと新鮮でした。やっぱりリモートのコミュニケーションでは得られないものが,リアルでのコミュニケーションでは得られますよね。
実際に目の前に,体温のある人を直接感じると,その人の心というか感情というか,そんなものが伝わってきますね。 “目の前の人” の続きを読む
「平凡こそ非凡である」というのは、若い時に私の人生の師匠からお聞きした言葉です。
「平凡」というのは、スマホで意味を検索すると「特にすぐれたところがなく、ありふれた様子」と出てきます。その対義語は「非凡」です。意味は、「並のものよりずっと優れている様子を表す」と出てきますね。
なので、そもそもこの言葉自体が、矛盾しているようですが、そうではありません。 “平凡こそ非凡である” の続きを読む
「何かあったらどうするんだ!」
会社で、何か新しいことを始めようと提案したときに、周りの人によく言われることです。あなたは、言われたことはないですか?
で、提案者が、こう答えたとします。
「そんなこと、やってみないとわかりませんよ。」
すると、さらに、こう言われるわけです。 “何かあったらどうするんだ” の続きを読む