間違っていたら、誰かが教えてくれる。
間違っていたら、誰かが修正してくれる。
最後は、誰かが何とかしてくれる。
だから、細かいことは気にしないで、仕事は、ざーっと適当にやっていってかまわない。
会社に勤めていると、そんなふうに考えてしまいがちですね。
確かに、新人時代や、入社して何年目かの駆け出しの時代であれば、それで問題ないんだろうと思います。むしろ、先輩や上司も、新人に対しては、細かいことは気にしないで、間違ってもいいから、失敗してもいから、どんどんやれと言うと思います。
そして、間違いがあったり、失敗したときには、先輩や上司が、しっかりとサポートしてくれるという感じですよね。
また、それ以外にも、大きな会社では、社員の行動について、間違いがないかをチェックする部門があったりしますね。もし、何か間違いがあれば、その部門が修正をしてくれます。人は間違うものであるという前提でのチェック機能ですね。組織としての安全装置ですので、それ自体も問題ありませんね。
個人の成長について
ただ、一人一人の個人の成長ということを考えた時は、それだけで終わらせてはいけませんよね。ある程度の年齢になってくれば、人に言われる前に自分で修正が出来るようになってこないといけないんでしょうね。
というか、年齢が上がってくると、だんだんと間違いを修正してくれる人が少なくなってきます。その人の技能の程度や、その人の考え方にかかわらずです。
「この年になったんだから、このくらいのことは出来ていて当然でしょう。」
「この年齢の人に、今更、そんなこというのも失礼でしょう。」
というように、自然と周りの目は変わってくるものです。それが良いかどうかは別ですが、なんというか無言の圧力というような感じでしょうか。もっと冷めた見方としては、こんなのもあります。
「この年になって、こんなこともわからないなんて。この人は、何を言っても無駄な人なんだろう。」
今の時代、会社では、ハラスメントの問題があるので、社員には優しいですよね。新人ならまだしも、ある程度の年齢になった人に対しては、叱るということが難しいみたいです。
厳しい世間の目
その一方で、会社の外の世間の目というのは、けっこう厳しいところがあります。年齢を重ねているのに、それ相応の働きが出来ない人に対しては、バッサリと切り捨てるという感じでしょうか。
なので、できるだけ若い時代に、できるだけいろいろな失敗をして、経験を積むのが大切ですね。そして、ある程度の年齢になった時には、失敗したときに自分で自分を修正できるようになっておく必要があるというわけです。
誰かが助けてくれる。
誰かが教えてくれる。
誰かが修正してくれる。
若い時から、常にそういう環境に恵まれていたとしても、年齢を重ねてくると、そうはいかなくなってきます。
誰も助けてくれない。
誰も教えてくれない。
誰も修正してくれない。
それが現実ですね。
とこんなことを書いていると
「何を偉そうに、そう言うおまえが一番考えないといけないだろう。」
と言われそうですね。
はい、確かにそのとおりです。誰でもそうですが、自分のことというのは、案外、自分ではわかっていないものです。
自分のことはわからない
それに、人の良くないところが見えるというのは、自分にもそういうところがあるからだと、よくお聞きしますよね。だから、「人の批判をする前に、自分のことを見直せ」と、いつも人生の師匠からは言われ続けています。こうやってブログを書くのも、一つには、自分に対しての見直しということもありますよね。
特に、60歳を過ぎて、人生も後半になってくると、自分の間違いを正してくれる人は、誰もいなくなっていきますね。自分の失敗について、誰かが何とかしてくれるなんてこともなくなっていきます。
そうなってくると、自分のことは、すべて、自分で責任を取らなければなりません。自分のことは自分で、しっかりと律していかないといけませんよね。
ただ、だからといって、失敗を恐れすぎて、慎重になりすぎると、面白くありません。ここもやっぱりバランス感覚でしょうか?
バランス感覚
小さな失敗を繰り返して、それを修正しながら、結果的に大きな成功をする、言葉で言えば簡単です。本当にあたりまえのことです。でも、その当たり前のことを実行することは案外難しいということでしょうね。
バランス感覚に気を付けながら、年をとっても、さらに前に進んでいけるといいですよね。
ムッシュスカラー
PS:何歳になっても、自分のことを叱ってくれる人を持つというのはとってもよいことなんだろうと思います。もし、あなたがそういう人を持っているなら、それは幸せなことだろうと思います。
PPS:世間の目は厳しいと書きましたが、世間の目が必ずしも正解とは言えません。世間が変だという時もあります。それも含めて、自分のことを叱ってくれる人がいたら、本当にすばらしいと思います。そういう人こそ、本当の先生ですね。