
先日,あるひとのお話を聞いていて
なるほど,そうだな
と思うことがあったので
あなたにも共有したいと思います。
それは,データのことです。
今の時代,何でも,定量化
つまり,「データで示せ!」
ということが言われます。
会社では,目標設定について
「頑張ります。」
「一生懸命やります。」
「精一杯やります。」
ではなくて,
何を,どのくらい,
どのように,いつまでにやる。
すべて数字で示せ!定量化せよ!
「何を」については,
具体的な内容,
それも数字で示せる内容,
「どのくらい」
これも具体的な数字
「どのように」
これも具体的な手法,
数字で示せるもの
「いつまでに」
これも具体的な日時
というように,すべて
数字で示せと言われます。
もちろん,これは
何もまちがっていなくて
こうしないと何も達成できない
それは事実だと思います。
ただ,
人の行動というものを
完全に定量化すること
言い換えれば
完全に測定することはできません。
特に,その中でも,
人間の行動の元となる
感情の部分というのは
完全には定量化できません。
人の感情は完全には定量化できない
しかも,よく言われることですが
人の行動は,理性ではなく
かなりの部分というか,
実はほとんどの部分を,
感情が支配しています。
なので,感情の結果としての行動ではなくて
その原因となる感情そのものが測定できれば
それが一番素晴らしい解析となります。
でも,それは,どうしてもできないので
感情の結果である行動の方を解析している
それが,おそらく現在の状況です。
ですから,現在の各種データ
人の行動に関するデータ
特に,純粋な自然科学ではなく,
人がかかわる各種データ
人文科学,社会科学のデータですね。
特に政治や経済のデータなどは
その典型でしょうが,
必ずしも人の感情を
そのまま正確に
示しているとは言えません。
データは人の感情を正確には示していない
人は,「幸せ」ということを基本に
生活しているとしていて
その「幸せ」の基本が
「感情的に満たされていること」だとしたら
(そもそも「幸せ」の定義が曖昧ですが…)
日常的に我々が見ている
新聞やテレビ,さらに
インターネットで見ているデータというのは
「幸せ」を基準に考えた場合
ほとんど意味をなさないのかもしれません。
人の感情まで正確に
分析できているデータというのは
おそらく存在しない。
そのリスクは常に
意識しておく必要がありますね。
政治,経済等の
いろいろなデータを駆使して
世の中のことを
断定的な口調で述べる人
けっこう多いです。
でも,現時点で示されている
いろいろなデータが
人間のすべてを示していない
ということがわかっていれば
何もかもわかっているなんてことは
とても怖くて言えません。
自信たっぷりの人でも
「自分はすべてをわかっているわけではない。」
という認識を持っている人は
とっても強いなと思います。
社会の環境が悪くなっても
おそらく,適切な対処ができます。
自分はすべてをわかっているわけではない
しかし,そのような認識の無い人は,
良いときは良いですが
いったん,環境が変化すると
あっというまにどうしようもなくなってしまう,
おそらく,もろいものだと思います。
自分自身,このところ,
いろんなことを勉強してみて
さらにそんなことを
思うようになりました。
勉強すれば勉強するほど
「自分は何もわかっていなかった」
ということがわかってくる
昔の賢人はそう言いましたが
それは本当ですね。
さらに励んでいければと思います。
ムッシュスカラー
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