やるか?やらないか?
イエスか?ノーか?
右か?左か?
よくこんなふうに聞かれますよね。
でも、現実のこの世の中に、そんなにきれいにスパッと割り切れるようなものがあるのかと、この年齢になってくると本当にそう思います。
「やるか?やらないか?」
一見、簡単な質問ですが、実はものすごく微妙な質問なのですよね。
実は微妙な質問
たとえば、
「今日、何か一つ新しいことを始める。やるか?やらないか?」
そんな話になったとします。
ある人は、今日から、朝ご飯の時に、お茶を一杯、余分に飲むようになった。それを新しいこととして始めたとします。
ある人は、今までまったく知らなかった分野の本を1ページずつ読むようになった。それを新しいこととして始めたとします。
新しいことといっても同じじゃない
これはどちらも新しいことを始めたことになりますが、何かその重さが違うというように思いませんか?お茶を一杯余分に飲むことと、知らない分野の本を1ページ読むというのは、ずいぶん違うような気がしますよね。
これは新しいこと(お茶を飲むことと本を読むこと)を比較した場合ですが、例えば、お茶を飲むこと一つとっても、人によって全く重さが違う、そんなふうに思われませんか?
お茶が大嫌いな人がいるかもしれませんよね。死んでもお茶だけは飲みたくない、そういう人にとっては、お茶を一杯飲むこと自体が、本を読むことより、数段難しかったりします。そんな人と、根っからお茶が大好きな人では、お茶を飲むという行為の重さが全然違ってきます。
人によって同じことでも重さが違う
また、本を読むということにしても、1日1行なのか?1日1ページなのか?1日5ページなのか?1日1冊なのか?それで話は随分違ってきますね。
1日1冊の本を読む人からしたら、1日1行しか本を読んでいない人を見たときに、本を読んでいるとは思わないですよね。
「何かをやる」という同じ言葉でも、これだけ違うわけです。とすれば「やるか?やらないか?」という言葉も、考えていることは、人によって全然違うわけです。「やる」と「やらない」の基準は、すべて、その人の中にあって、その基準も、人によって全然異なっているということです。
基準がみんな違っている
だから、人と「やるか?やらないか?」「右か?左か?」「イエスか?ノーか?」こういう話をするときには、しっかりと基準を合わせないと、話が全くかみあわないということですよね。
「あなたはやると言ったのに全くやっていない」
「いや、わたしは、こんなにやっている。あなたがわからないだけだ。」
「いや、それはやっているとは言わない。」
などというような不毛な議論になるわけですよね。こういう行き違いは日常的に、本当にいつも起きています。
不毛な議論、日常的な行き違い
テレビのニュースを見ていても、今の社会は、わざと基準を不明確にすることで、あえて、大切な問題をうやむやなままに済ましてしまっているんじゃないか、そんなふうにさえ思えるような話が多いです。
もちろん、社会などという、そんな大きな話ではなくて、たとえば家族で、親子で、夫婦で、こういう意見の食い違いはしょっちゅう起きているんじゃないでしょうか?
こういう食い違い、話がかみ合わないことを防ぐためには何が必要だと思われますか?
食い違いを防ぐ方法は?
これも、人によって状況は異なるので、絶対的な正解などありません。ただ、私の経験からは、やっぱり、相手とよく話をすることが正解なのかなと思います。話がかみ合わないなあと思う時こそ、もっと話をするといいですね。なぜかみ合わないか、どこがかみ合わないのか、そんなところを、よく話をすることで探っていくことが出来ます。
そのためには、まずは自分から、相手の話をしっかりと聞かないといけませんよね。話がかみ合わないというのは、双方が自分の言いたいことを言っているだけだからです。相手の話を聞いていません。どちらかが相手の話をしっかりと聞くという姿勢になれば、そもそも話がかみ合わないという状態は存在しなくなります。
あなたがまず相手の話を聞く
まずは、相手ではなく、あなたの方から、相手の話をしっかりと聞くことで、話がかみ合わないという状態から脱出することができます。「そんなの一方的で嫌だ!」と思うかもしれませんが、相手の話を聞かない限り、永久にあなたの意見をわかってもらえることはありません。
それに、話を聞くことに集中する方が、実は頭がよくまわります。この人の言っていることはどういうことだろう?どうしたらわかりあえるようになるだろう。じっくりと、それを考えることの方が、自分の意見を主張するよりももっと大切です。
よく聞くことは主張することよりも大切
そうやって聞いているうちに、自然と自分の主張の足りないところ、わかりにくいところも見えてきます。そうすると、自分の意見を述べる番になったときに、ものすごくわかりやすい意見として述べることが可能になります。
人の話を一生懸命聞くことは、同時に自分の話し方を磨くことになります。このあたりも重要ですよね。
やるか?やらないか?
右か?左か?
イエスか?ノーか?
もし、あなたのまわりがこんな簡単な問いかけと、それに対する簡単な返事だけで、いつも終わっているようなら、それはかなり危険な状態です。あなたのまわりは、ものすごくあやふやであいまいなことばかりなのではないでしょうか?
あやふやであいまいなことばかり
もともと世の中、そんなに単純ではありません。そんな複雑な世の中を簡単な世界に割り切ろうとしているのだから、その中にはものすごくあやふやな部分、あいまいな部分が満ち溢れている、そう考えるのが自然ですよね。
100かゼロか、オールオアナッシングではなく、常に、その間のどこのあたりに正解があるのか、それを考えていくことがとても需要です。そのためには、本当にたくさんの話をしないといけません。別の言い方で言えば、十分なコミュニケーションを取らないといけないということですよね。
書くのは簡単、実行はとんでもなく難しい。
今日もそういうお話でした。
ムッシュスカラー