「何かあったらどうするんだ!」
会社で、何か新しいことを始めようと提案したときに、周りの人によく言われることです。あなたは、言われたことはないですか?
で、提案者が、こう答えたとします。
「そんなこと、やってみないとわかりませんよ。」
すると、さらに、こう言われるわけです。
「やってみないとわからないとは何事だ。成功するかどうかわからんことなどをやって、もし、失敗したら責任はとれるのか?」
そう言われたら、
「そうですね。成功するように最善の努力をします。でも、もし、失敗したら責任を取るしかないですね。」
そう答えるしかないような気がします。
責任は取りますよ
まあ、その時に、心の中では、
「やってみる前から成功するかどうかわかる人がいるんだったら、ここに連れてきてほしいもんだ…」
とつぶやいているわけですが(私ですが…)、そこは口には出しません。
いわゆる大人の対応ですね…。
そんな時に、よく思ったことです。
「何かあったらどうするんだ?責任はとれるのか?」
とおっしゃる人は、要は
「私は責任を取りたくない。何かあったら、責任はあなたが取るんでしょうね!」
ただ、それだけを念押しされているだけのような気がします。
誰が責任を取るか
「問題が起きた時に責任を取る人が誰なのか?」
組織においては、そこが大きな問題ですね。
自分に責任が及ばないなら、だれも、人のことを、どうこう言ったりはしません。ただ、その責任が自分に及ぶ場合には、かなり慎重になるわけですね。組織においては、当たり前のことで、それが良いとか悪いとかいう話ではありません。
でも、新しいことを何もしないで、ずっと今までどおりを続けていたとしても、問題が起きてくることはあります。そうしたら、何もしなかったことに対して責任を問われます。
やらなかった責任
つまり、現状を変えようが、変えまいが、どっちにしても、何か問題があれば、関係者は責任を問われるわけです。ただ、その時に誰が責任を取らされるかの問題だけです。
責任を取りたくない人というのは、会議では積極的な発言はしません。極力、自分が何かを決めたことにはしたくないということです。「自分は何も言っていない」という姿勢ですね。何か起きた時には、「だから自分は積極的には賛成しなかったのに…」という感じです。
責任は自分にあると言える人
逆に、自分に責任を持ってくる人もいます。
「何かあったら、私に言ってください。私が責任者です。」
おそらく、多くの人は、こういう人を信用すると思いますね。
まあ、このごろ、「責任は私が取ります。」という発言を聞くことがめっきり少なくなったような気がします。そう思うのは私だけでしょうか?
ともあれ、何をするにしても、発言すること、提案することには責任が伴います。そして、その責任を受け入れる覚悟があれば、人から信用されやすいということだろうと思います。それは、責任を負うというのは、大変な事態に追い込まれる可能性があるからですよね。そんなことも含めて、責任を引き受けるという人を、人は信用するわけです。
実際、人が成功するかどうかは、その人個人の努力以外に、いろいろな条件がありますよね。人の縁や、時の運というのもあると思います。どんなことも、やってみないとどうなるかはわかりません。未来のことは誰にもわかりません。結果は神のみぞ知るという感じですかね。
未来のことはわかりません
ちなみに、自分の提案について「これは絶対に成功します!」と豪語する人がいます。でも、そう豪語する人も、本当のところは、「そんなもの、やってみないとわかるはずがない。未来のことなど誰にもわからない。」そう思っているはずです。
ただ、最初から、「これは出来ない。」という感覚では、何もできません。周りに「絶対に成功します!」と宣言することで、良い意味で自分にプレッシャーをかけるというのはありだと思います。もちろん、出来なければ責任は問われます。でも、成功する確率を少しでも上げるために、「絶対に成功するぞ!」と宣言するというのは一つの方法ですね。上司の許可を取るためにも、そのくらいでないと意見は通りませんよね。
まあ、ともあれ、何かやろうとしたら必ず責任というのはついてまわります。責任を取りたくなければ、何もやらないという選択肢になりますね。
責任はついてまわる
自分の意見も言わない、行動もしない。それなら責任を問われることはないと思います。(もちろん、何もやらなかったことの責任を問われる可能性がゼロではありませんが…。)失敗をしたくなければ、何もしないのが一番というのと似ていますよね。
でも、責任を取りたくないから言いたいことも言わない、責任を取りたくないからやりたいこともやらない。そんな人生が楽しいのかと言われると、そこは疑問ですね。
さて、あなたはどう思われますか?
ムッシュスカラー