毎日やる?台風でも?

あなたはまじめなかたでしょうか?このブログを読んでいるくらいですから,きっとまじめな方なんでしょうね?

私も,もともとは,とっても真面目でした。というか,真面目過ぎて,まったく融通が利かない人でした。若い時には,本当にそうでしたね。

年をとるにつれて,世間の荒波に揉まれるなかで,すこし融通を利かせられるようになってきました。おべんちゃらも言えるようになってきましたね。年齢というか,経験のなせるわざです。

たとえば,だれかが「私は,毎朝,散歩をしている。」と言ったとします。
そうすると,若い時の融通の利かない私は,こう思うわけです。

台風でも?地震でも?

「すごーい。この人は台風でも地震でも,毎朝,必ず,散歩をしているんだ。本当にすごーい。」

って,「そんなわけないだろうが!」と,今なら突っ込めます。

ですが,若い時には,本気でそんなことを考えてました。
底抜けの純粋さというかアホというか,そんなピュア―な気持ちの持ち主だったわけです。まあ,ちょっと度が過ぎてたかもしれないですけどね。

ウソをつくなんて信じられない

なので,人間がウソをつくとか,そんなことが信じられませんでした。

高校の時に,運動部(剣道部)の部長をしていた時がありました。その時に,部のメンバーに
「今日,練習あるから来いよ!」
と伝えた時に
「おお,行くよ!」
と答えたメンバーが,練習に来ない。

そんな時には,
「ウソをつくなんて,信じられない!あいつはおかしいやつだ!」
と本当に心の底で叫んでましたね。

でも顔には出せない

ただ,それを口に出せないところが気の弱さで,顔ではあまり不満そうな表情はしてなかったと思います。そんな自分がまた嫌でしかたがない。まあ,純粋な高校生にはありがちな(あなたは違いましたか?),何とも青臭い高校生時代を送ってました。

私の場合は,かなり極端な例かもしれません。ですが,だれでも若い時代は,多少は似たようなことはあるんじゃないでしょうか?何についても,極端にかたよった見方をしてしまうということですよね。

今思えば,「練習に行くよ!」と言ってた部員が練習に来なかった,これはその人が嘘つきだからなんでしょうか?もちろん,結果的には嘘をついたことになるのかもしれません。でも,そのメンバーの身の上に,何か特別なことが起きて,練習に行きたくても,行けなくなったのかもしれませんよね。ふだんは嘘をつかない人なのかもしれません。

もうちょっと余裕があれば

そのあたり,もう少しゆったりと考えることが出来たらよかったと思います。
「自分が知らない何かの用件が出来たのかもしれない。」
そんなことまで考えられる余裕というのが当時はなかったですね。

もちろん,「平気でウソをつく,それを何とも思わない」,そんな人は世間には山ほどいますね。今ならそれもわかります。でもまあ,小さいころからウソをつかない人に囲まれていた純粋な高校生には無理でしたね。

まあ,それくらい,自分の身近な人は,ウソをつかなかったということです。そういう意味ではすばらしい環境で育ててもらったんだと思います。そこは,両親に感謝ですね。

固い約束でも守れないこともある

それはそれとして,今なら,いろいろな経験を積むなかで,
「本当にまじめに約束をしても,約束を守る気持ちが100%あったとしても,どうしても約束を果たせないこともある」
ということがわかります。

完璧な人はどこにもいないということもわかります。そのような経験から,どうにかこうにか,自分以外の人に対して寛容になることができるようになりましたね。

昔は「完璧な人か,そうでなければ,ダメな人。」そんな感じでした。人を受け入れることが出来ませんでしたね。

人を受け入れられること

ですが,今は,「みんな,完璧じゃないよね。いろいろあるよね。」そんな感じです。こういうのを「ふところの広さ」というんでしょうか?今でもよくわかりませんが…。

さて,あなたはいかがでしょうか?


ムッシュスカラー



PS:若い時には,他人にはどうしても完璧を求めてしまいがちでした。でも,今なら100点満点の70点くらいならまったく問題無しですね。50点でもOKです。

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