しなやかさとしたたかさ

庭のしたたかな花

もっと歩かないといかん。
このくらいではよくならん。
納得できん。

以前、体調を崩して
入院していた父が、退院してから、
「1日1万歩、歩かないと健康にならない!」
ということを気にして、
いつも言っていたことです。

特に、真面目に実直に考える人
言われたことはきちっとやる人
私よりも年齢が上の人に多い印象ですが
そういう人は、どんなことがあっても
環境がどんなに変わっても、それを貫き通す
そんな意地のようなものがありますね。

環境が変わっても同じことをやりとおす

うちの父の場合も、そうです。
病気をしたのだし、
それなりの年齢にもなっています。
入院する前と同じことを望むのは
それは無理というものです。

横からみていると
それははっきりとしているのです。
しかし、本人にとってはそうではありません。

「自分は今も前と同じだ。
前と同じことが出来ないはずがない!」
そう信じています。

まあ、実際には
歩こうとしても歩けないので
なんとなくは無理だとは感じているようです。
それでも、気持ちの上では
1万歩をめざしているという感じです。

そこで、こちらから
「それは無理でしょう。

年もとったし、条件が変わったんだから
考え方も、やり方も、変えましょうよ。」
と話をしても、なかなか
首を縦に振ってもらえません。

仕事の場でもありますよね

でも、これって、
仕事の場でも、よくありますよね。
とくに職人肌の人というのは
うちの父と同じような傾向があります。

「なんだかんだ言っても
やっぱり私だからできるんだ。
私という人間しか出来ないことがある
だから、そこだけはゆずれん。」

そういう話は本当に多いです。
もちろん、それは多くの場合正しいです。
ただ、世の中、環境は変わっていきます。
その時は正しかったことが
少しずつですが、正しくなくなっていく。
厳しいですが、それも現実です。

今日、いきなり、
「あなたは要らなくなりました。」
なんてことは言われないと思います。
でも、ある日気がつくと、
「あなたは要らなくなったようですよ。」
なんて言われないとも限りません。

環境の変化は慢性疾患のように進行します

こういう環境、条件の変化は
恐ろしいことに、徐々に進行します。
慢性疾患のように静かに変化します。
だから気が付いた時には手遅れということです。

なので、自分が優秀だと思う人ほど
よくよく注意して、
環境に適応していく必要がありますね。

自分という人間が
今後も必要とされるためには何が必要か
それを常に考えて、
常に自分を変化させていくことが必要になります。

一流と言われる立場を
ずっと維持できている人というのは
止まっていませんよね。

すでにものすごく高いレベルにあるのに
このままではいずれダメになる
そういう危機感をもって
毎日を送っているようです。
いわゆる健全な危機意識というやつです。

健全な危機意識をもつ

ただ、それは、冒頭の話のように
以前と同じレベルとか
これまでそうだったからそれを守るとか
そういうことではないようです。

今まではこれが最高とされていたが
本当は違うんじゃないか?
今の時代なら、こういうふうに
変わっていかないとダメなんじゃないか?
そんなことを常に考えていますよね。

やっていることが、ダメとわかったら、すぐにやめる。
やっていないことで、良いとわかったら、すぐに始める。

ダメならすぐやめる、良いならすぐ始める

そういう変わり身の早さをもっています。
一つのことを粘り強く続ける粘り強さと
違うとなったら、すぐにでも
変えることができるしなやかさ

この二つを併せ持っている人、
それもすばらしいバランスで併せもっている人が
常に一流として世の中に認められている
そんな感じでしょうか?

なかなか、そんな人はいないですよね。
だからこそ、常に一流と言われるのでしょうね。
難しいでしょうが、やってみる価値はありますね。

 

ムッシュスカラー

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