「がんばりと無理の違いは?」
高校生から大学生になるころに
よく考えていた問題でした。
あなたなら、どう答えますか?
「がんばりというのは、こういうことです。
無理というのは、こういうことです。
違いは、こういうことです。」
というような明確な回答をお持ちですか?
もし、明確な回答をお持ちなのであれば
あなたは、すばらしい人だと思います。
この問題については、前にも、
このブログで書いたかもしれません。
大学生のころに、ある友人が、
尊敬する先生に、尋ねたことがあるんです。
ちょうど、私も、その場にいました。
私自身も、とても興味がある問題だったので
その先生がどう回答されるのか
興味津々で、耳を澄ませていました。
どういう回答が返ってきたと思いますか?
「なるほど、そういうことか!」
というような胸のすくような回答、
ではありませんでした。
その先生が言われたのは、
「がんばりはがんばりだし、無理は無理だね。
それ以外に、答えようがないかな。」
でした。
がんばりはがんばり、無理は無理…
「ええっ。それでは回答になってないのでは?」
と、友人は納得できないような顔をしていました。
私も、そう思いました。
で、先生からの回答は、
それで終わりで、それ以上の
詳しい解説はありませんでした。
いろいろ考えましたが、結局、
「がんばりの定義、無理の定義、
その違いは、人それぞれ、みんな違う。
だから、こういうことは、自分で考えろ。」
ということなのかなと
自分なりに解釈したということです。
その友人もそうでしたが、
その当時の自分というのは、
なんにでも「完全な正解」というのを
求めていました。
なぜ、「完全な正解」を求めたのかと言えば、
おそらく、学校での授業というのが、
講義を受けて、その内容について試験を受ける。
そして、その試験の点数で習熟度を確認する。
完全な正解を求める…
言い換えると、
「問題には必ず正解があって、
その正解を答えることが良いことだ。」
というような姿勢、態度が
当たり前になっていたからでしょうか。
そんな常識が頭の中にしみこんでいたので
「どんな問題にも、必ず正解がある」
そう思い込んでいたんでしょうね。
なので、学校で教えてもらえない
日常のいろいろな問題についても
必ず正解というものがある。
「どんな人にとっても間違いのない
完全な正解というのがあるに違いない。」
そう思い込んでいたんだと思います。
なので、そもそも
「正解がない問題というものがある」
ということに気づかない。
正解がない問題について、
無理に正解を求めようとするから
「どこまでいっても、きりがない。
際限なく正解を探し求める。」
そんなことになるんでしょうね。
際限なく正解探しをする
がんばりと無理の違い、
これも正解というのはありませんね。
というより、人によって全く違います。
そもそも、何をがんばりと言って、
なにを無理というのか、
その定義も、人によって違います。
もちろん、一人一人の個人のレベルで
がんばりと無理の違いを考えること
これは、可能だと思います。
ただ、それはあくまで
その人個人だけの問題であって、
他の人に適用することはできません。
その人のがんばり、その人の無理は
その人が自分で判断することです。
他人のがんばり、他人の無理を
そのまま自分に適用することはできません。
もちろん、自分にとっての
がんばり、無理をよくわかったうえで
他の人にアドバイスを求めることは可能です。
自分で考えたうえで協力を求める
ただ、自分のがんばりや無理について
自分で考えることを放棄して、
自分以外の人に、定義をしてもらうことは
これは、あまりよろしくないのかな、
と思います。
やはり、最終的に、自分の人生に
責任を持つのは、自分しかありません。
結果がよかろうが、悪かろうが、
その責任は自分にあります。
そう割り切れるためには、
やはり、大事な判断をするとき、
一番根っこのところでは、
他人の判断に無条件で従うのではなく、
自分でもよく考えたうえで判断する、
それが必要になってきますね。
学生から社会人になって、
定年退職をした後でも、
このがんばりと無理の違いの話は
時々、思い出します。
で、そのたびに、
「ああ、また、誰かに、
正解を出してほしいと頼っているなあ」
なんて、ため息をつくことがあります。
誰かに正解を出してほしいと願う…
人間、どこかに、そういう弱さというのを
持っているものなのかもしれませんね。
あなたはそんなことはありませんか?
でも、だから悪いということではありません。
そうか、人間だもの、
やっぱりそういう時はあるよね。
よし、ここで仕切りなおして
もうちょっとだけ、無理ではなく
がんばって、考えてみよう。
そうやって、気分を取り直して
「自分で考える」ということについて
あらためて取り組んでいるところです。
ムッシュスカラー
PS:いくつになっても、何かを学ぶというのは良いことだと思います。その時にどのくらいまでがんばるか?これは、やっているうちにいつも突き当たる問題ですね。まあ、私の場合、今は、あまり掘り下げずに、出来るだけアバウトに、出来るだけ適当にやっていくのがいいかなと思っているところです。