言語明瞭、意味不明

「国民のために、政治改革をして
将来を明るくするために
私たちは、がんばっていきます。」

こういう言葉で
流暢に、さわやかに、
演説をしている、
そんな政治家の姿を
ニュースやネットの動画で
見ることがあります。

確かに、演説自体は、見事で
使っている言葉もわかりやすいです。

でも、具体的に、この人は
何をすると言っているのか?
公約は、具体的には何か?

「政治改革って、何?」
「将来って、いつ?」
「明るくするって、どういうこと?」

そんな?(はてなマーク)が
いろいろなところに
浮かんできます。
以前から、なんとなく感じていたことです。

政治、経済に関しての
テレビのコメンテイターの発言や
ネットでの動画や記事についても
おなじように「はてなマーク」が出てきます。

はてなマークが浮かんでくる

このところ、政治経済に
関心を持つようになって
特に「はてなマーク」が
増えているように思います。

自分が、その気になって
政治経済の勉強をして、
具体的な情報を見るように
なったからかもしれませんね。

で、話は戻りますが、
様々なメディアにおける
政治経済に関する意見や
政治経済に関する記事については、
冒頭の演説と同じような
傾向がありますね。

どういう傾向かと言えば、
こういうことです。

同じような傾向がある

つまり、一つ一つの言葉は
わかりやすい言葉です。
ですが、それらの言葉が
連続して一つの文章になると
意味がよくわからなくなります。

「えっ?なんかよくわからない。
結局、何を言いたいの?」

「ぼんやりとした雰囲気はわかったけど、
つまり、具体的にはどういうこと?」

「それは一体、何のことを言っているの?
結局、何が問題で、何をどうしたらいい、
と言っているの?」

そんなことが、多いんですね。
雰囲気はなんとなく伝わるけど、
結局、雰囲気は雰囲気なんですね。

雰囲気はなんとなく伝わるが…

「具体的に何がどうした」という、
明確なことは何もわからない。
そんな感じでしょうか?

たとえば、冒頭に書いた演説です。
「政治改革をして、将来を明るくする。」
この公約はどうでしょうか?

もし、このようなコメントを
公約として、どこかの政党が出して来たら
あなたはどう思うでしょうか?

言葉自体は明瞭です。
「政治改革」というと、
ちょっとカッコよさげな言葉です。
イメージは悪くありません。
はっきりとした言葉で、
おそらく誰でも言葉自体は知っています。

でも、繰り返しになりますが、
「政治改革」って
具体的になんでしょうか?
「将来」って
いつのことでしょうか?
「明るくする」って
具体的にどういうことでしょうか?

具体的にどういうことか?

つまり、
「政治改革で将来を明るくする」
この言葉をいくら連呼されても
具体的なことは何もわかりません。

具体的なことがわからないと
それを理解することや
腹の底から共感することは、
実際には難しいということですね。

一方で、このような
これまでよくあるパターンとは逆に、
最近では、具体的な公約を出してくる
政党が出てきましたね。

具体的な事例

たとえば、わかりやすい例で言えば、
国民民主党のスローガンである
「手取りを増やす」でしょうか?

「103万円の壁」ということで
話題になっている件です。

具体的には、所得税の基礎控除を
103万円から178万円に上げる、
そうすることで、国民一人当たり、
1年で約10万円以上の減税になる
ということですね。

これはとっても具体的な話ですね。
基礎控除額が増えることで、
所得税、住民税が減税になる。
わかりやすいですよね。

結果として、
1年で国民一人当たり
約10万円以上、手取りが増える
そういう話です。
数字が入っていて具体的です。
わかりやすいですよね。

数字が入っていて具体的

これは、これまでの
政治の世界にありがちな
「きれいな言葉だけで
何を言っているのか、よくわからない」
つまり、
「言語明瞭、意味不明」
ではなく、とても具体的で、
わかりやすい内容ですね。
「言語明瞭で意味も明瞭」です。

抽象的で理想的な話というのは
言葉は耳障りの良い言葉なので、
聞いていて心地よいと感じるかもしれません。
でも、実体がない場合が多いようです。

それと、抽象的な話は
どこまでいっても抽象的です。
本当の現実は、聞いている人の
イメージに左右されます。

同じ抽象論、理想論を聞いても、
人によってイメージする内容は変わってきます。
これは避けられないことです。

抽象論は、どうとでも解釈が可能

逆に言えば、聞く側は、
どうとでも解釈できますし
伝える側からみても、
いくらでも、微妙に解釈を変えて、
論点をずらすことが出来るわけです。

それは、言い換えれば、
反論された場合でも、
論点をずらすことで、
話をすり替えることが
出来るということになりますね。

逆に、話が具体的になればなるほど
論点をずらすことは難しくなります。
必然的に、議論は、厳しくなってきます。
言い逃れがしにくくなります。

なので、議論自体が嫌いな人、
あるいは、議論をすると
負けそうだと考える人は、
極力、抽象論だけで、
話を終えようとします。

抽象論では、議論はできない

このあたりのことをよくわきまえて、
人の話を聞くのがいいと思います。

人の話を聞いて、言葉自体は、
聞いたことがあるのだけれど、
どうも、よくわからないなあと
もし、あなたが思ったのなら、
ちょっと立ち止まるのがいいですね。

たとえば、
「今の話は、具体的には

どういうことですか?」
とたずねてみたらいいですね。

それに対して、
あなたの質問の意図をすり替えないで、
その人の言葉で回答が出来るかどうかです。

そのうえで、あなたが、
その回答について納得が出来るなら、
それは、素晴らしいことです。
その人は、自分が言っていることを
よく理解しているということです。

でも、もし、言葉はかっこよくても
同じような抽象論を言い換えているだけで
あなたの質問に、ストレートに回答していない。
結局、何を言っているのかわからない。
何か言いくるめられた感じがする。

抽象論の言い換えだけなら要注意

そんな場合は、用心することです。
それ以上、その人の話は
聞かない方がいいかもしれませんね。

話している人が、
話している内容について
その人の言葉で、
具体的に説明できない場合、
話している人自身が、
話している内容を
よくわかっていないのかもしれません。

自分が喋っていることが
よくわかっていないなんて、
うそみたいな話です。
でも、実際には、よくある話です。

また、質問をさせないために
議論をしないようにするために、
あえて、話を具体的にしない
というケースもありますね。

そのような場合は、
その人の話を聞くことが
自分にとって本当に必要なのか
少し立ち止まって、
考える必要がありそうです。

自分が話す立場の場合は?

一方で、逆の立場、つまり
自分自身が話す方の立場になった場合、
どんなことになっているでしょうか?

実は、往々にして、
「言語明瞭、意味不明」という
なんともかっこの悪いことを
自分自身がしでかしていることに気づきます。

お恥ずかしい話ですが、
このブログでも、そういうことは
多々あるのではないかと思います。

特に、目に見えないことを
伝える場合は難しいです。
工夫が必要になりますね。

どうやって抽象的な話の内容に
具体性を持たせるか?
どうしたら、目に見えない、
あいまいな部分を
少なくすることが出来るか?

また、話の本質から考えて、
あいまいな部分が、
どうしても避けられないなら、
どの程度まで割り切って、
ニュアンスを具体的に表現するか?

言語明瞭、意味明瞭を目指して

これらのような観点から、
できるだけ言語明瞭であって、
かつ意味も明瞭であることを
目指したいと思っています。

なかなか骨の折れることですが、
これも、きっと、生涯かけて
取り組むべき課題でしょうね。

なぜかって、ブログだけでなく
日常生活でも、普通の会話の中でも、
とっても大事なことだからですね。

まあ、ぼちぼち、力まずに
取り組んでいきたいと思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:セールス、販売の観点から、目に見えない商品(サービス)を売る場合も、その価値をどのように伝えるか、そこのスキルが重要になってきますね。

PPS:手に取ることが出来ない商品を売るというのは、抽象的な話を分かりやすく伝える、つまり、出来るだけ具体的に伝えるというスキルが必要になるのだと思います。

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