人間万事塞翁が馬
という言葉があります。
何か良いことがあっても
それは悪いことかもしれない。
また,逆に悪いことがあっても
それは良いことかもしれない。
たしか,こんな話でした。
塞翁が馬のお話
昔の中国で,
田舎に住んでいた老人が
飼っていた馬が
逃げ出していなくなった
これは悪いことだと
村の人が嘆いていたら
老人は,
「いや,これはそうとも限らない」
と言った。
そうすると,その馬が
2頭の馬を連れて帰ってきた。
村人たちは,
「これは良いことだ」
と喜んでいた。
そうすると,老人は
「いや,そうとも限らない」
と言った。
すると,今度は,その馬に
老人の息子がけられて
骨折してしまった。
村人たちは,
「これは悪いことだ」
と嘆いていた。
そうすると,老人は
「いや,そうとも限らない」
と言った。
しばらくして戦争が起き
そのあたりの村の若者が
すべて徴兵されることになった。
しかし,老人の息子は
骨折して動けなかったために
徴兵を免れた。
村人たちは
「これは良いことだ」
と言って喜んだ。
すると,老人は…,
というお話ですね。
慰めのための話ではない
で,何となくですが,
「何か悪いことがあっても
それは良いことかもしれない。」
というように
「悪いことがあった時に
そうじゃないかもしれないよ。」
というような,慰めるような感じで
使われることが多いような印象があります。
(私だけだったらすいません。)
でも,実際には,そういう
慰めの発想というか
プラス発想のすすめとか
そういうものではない
ということなんですね。
本当の意味は,
起きてくる事実そのものは
それ自体意味を持っていない。
事実は意味を持っていない
なんらかの意味を持たせているのは
それを見ている人間である。
良いとか悪いとか
判断しているのは人間であって
起きてくる事態,事実そのものが
良いとか悪いとかいう意味を
持っているわけではない,
ということなんだそうです。
さらに,この物語は
実は,永遠に終わらない,
永遠に終わらない物語
それはそうですよね。
現在というのはすぐに過去になります。
人間が時を止めることはできません。
次々にいろんなことが起きてきます。
次々に起きてくる事態が
すべて意味を持っている
そういうことじゃないですよね。
そして,それが
良いか悪いかなんて
人によって意味合いは
全然違いますからね。
同じ事実を見ても
人によってそれをどう意味づけるか?
どう考えるかは人によって違う。
同じことを経験しても
感じ方は全く違うということです。
同じ場所で,同じ時間を
過ごしたとしても
そこで感じることは
人によって違う
その時代の意味付けは
人によって違う
そういうことですよね。
同じ環境にいても感じることは違う
これって,言われてみれば
とってもあたりまえのことです。
でも,よく忘れていることです。
自分と同じ経験をしたんだから
あなたもそう思うでしょう?
そんなふうに考えたことは
ないでしょうか?
この事実をみたら
こう判断するしかないだろう!
そんなふうに相手に自分の意見を
押し付けたことはないですか?
無意識に意見を押し付けている?
おそらく誰でも,無意識のうちに
やっていることです。
そこを意識して
相手の意見に慎重に
耳を傾けている人は
ものすごく少ないと
私は思います。
もちろん,私も
自分の意見の押し売りを
していることがとっても多いです。
このブログもそうかもしれません。
特にブログの場合には,
相手の顔が見えないので
自分の書いている意見が
あなたにどう思われているか
それは見えません。
Face to Faceでは気を付けています
でも,実際にFace to Faceで
お話をするときには
極力,相手の意見と自分の意見
相手の感性と自分の感性は
ちがって当たり前だ,
そう思うようにして接しています。
それでも難しいですよね。
人間というのは
本当にみんな違うなあと
あらためて感じている今日この頃です。
でも,だからこそ面白い。
そうとも言えるわけです。
みんな違うから面白い
もし,まわりが,
自分と同じように考える人ばかり
そういう世界が出来たとします。
その世界はたぶん
面白くないだろうなと思います。
先入観を持たないで
事実を事実として見て
そして,相手の話をしっかりと聞く,
そういうことは常に
意識してやっていこうと思います。
ということで今日はこのへんで。
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました。
ムッシュスカラー
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