平凡は非凡である

「平凡は非凡である。」
この言葉は、人生の先輩から
教えてもらった言葉です。

「自分って大したことない人間だなあ。
本当に平凡な人間だよなあ。」

なんて感じる時に、ふっと
思い出して、元気をもらう言葉です。

あなたは、
「自分は、非凡な人間だ。
そこらにいる平凡な人とは違う。」

と思う方が、頑張れるタイプでしょうか?

自分は平凡だから
世間で認められる人には
なれないなあなんて思って、
落ち込んでしまうタイプでしょうか?

たしかに、世間で
もてはやされる人、
話題になる人というのは、
平凡な人とは違っている。
つまり、非凡な人です。

平凡な人というのは、
いわば、ありきたりの人という感じで
話題にはなりませんね。
でも、本当にそうなのか?
ということです。

本当にそうなのか?

冒頭に書いた先輩は、
「平凡というのは、実は、
とても非凡なことなんだ。」
と、若い時の私に話してくれました。

「だって、そうだろう。
平凡に生きるということは、
逆に言えば、日々の生活で
大変なことが起きてこないということだ。

言い換えれば、
毎日、トラブルを起こさないように、

しっかりと手を打って、
結果として、毎日を安心して、
生きているということだよ。

仕事でトラブルを起こさず、
病気もしないで、
家族にも恵まれて、
日々楽しく生活している。

そういうのを平凡というのであれば、
この平凡こそ、実はものすごく難しい、
つまり非凡ということだよ。

実際、仕事でトラブルを
起こさないというのは
実は、けっこう難しい。

普通のレベルで仕事をしていたら
トラブルは起きてくるのが普通だよね。

それでも、トラブルを起こさないというのは
トラブルを起こさないように、
事前に、適切な手をうっている、
ということだと思うよ。
だからトラブルを起こさないんだ。

だから、トラブルを起こさないというのは
それ自体は、表立って、賞賛はされないけど、

実は、すごい仕事をしているわけだ。

また、病気をしないで
人生を過ごしていくことは難しいよ。

多くの人は、人生のある時点で
大きな病気をするものだし、
日常的に病気を抱えている人もいる。

その病気にならないというのも
実は、健康維持のための努力を
こちらからは見えていないが、
しっかりとしているわけだ。

また、お金についても、
普通に生活できるだけのお金を
普通に使えるというのは
案外、難しいことだよ。

それなりに、収入と支出の
バランスを考えないといけない。
それなりの収入があって、
支出を適切なレベルでコントロールする。
これも、簡単なようで案外難しい。

それと、家族に恵まれること。
家族がみんな楽しく生活できている。
いがみあいも、けんかもなく、
平々凡々と毎日笑いながら生活できる。
これが出来れば最高でしょう。

そのためにも、実は、
それなりの努力が必要なわけだ。

ねっ。だから、平凡というのは
とっても非凡なんだよ。

こういう平凡な生活を
ずっと送ることが出来る人は
実はものすごく非凡な人なんだよ。

こういう、平凡な、言ってみれば
とても幸せな生活をしている人は、
新聞や週刊誌やテレビ、
最近なら、SNSやインターネットで
取り上げられることはないよ。

なぜかと言うと、それ自体、何も
変わったことではないから。
とっても普通の風景だからね。
とっても幸せな、
日常の風景だからだよ。

普通の風景、日常的なこと
つまり、平凡なことは、
ニュースにはならない。

ニュースは平凡ではない、
だからニュースになる。
だから『ニュースというのは、異常なことだ』
と思って、適当に見ておけばいい。

逆に、
『平凡なこと、平凡な人というのは
実は非凡なことであり、非凡な人である』
このことを覚えておくといい。

『平凡だから、物足りない』とか
『平凡だから、自分はダメだ』
なんてことは、
思う方がおかしいということだよ。」

と、とうとうと
諭されたことがあります。

言われてみれば、その通りです。
あたりまえの日常、
当たり前の平凡な毎日、
そして、当たり前の幸せ、
こういうのを、当たり前に
実行している人は、非凡ですよね。

でも、そういう人は、
そんなに目立たない存在です。
自分で目立とうともしません。
でも、実は、とても非凡な人なんですよね。

こういうところ、年齢を重ねても
本当にわかってないなあと思います。

どこかに、「周りから認めてほしい」という
承認欲求がまだまだあるんでしょうね。

先輩の言われたことを
もういちど思い出して、
周りの人の目は気にしないで
毎日を平凡な幸せで
満たしていることが出来ているか、

あらためてそちらの方を
見直していきたいと思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:人生で貴重なのは、こういうお話をしてくれる先輩です。年を重ねると、自分より先輩にあたる人が、どんどんいなくなります。逆に自分が、そのような先輩の年齢にさしかかってきたとき、先輩方のような話ができるのか?はなはだ疑問です。こうやって先輩の言葉を思い出すことで、あらためて自分にはっぱをかけているところです。

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