「あっ、何か落ちましたよ。」
駅のホームで、すぐ後ろに並んでいたかたに
声をかけていただきました。
スマホを鞄から出した時に、
定期入れがスマホと一緒に、
鞄のポケットから出て
ホームに落ちたのでした。
電車の音に紛れて、
全く気がつきませんでした。
教えていただいたかた、
ほんとにご親切にありがとうございました。
定期を無くしていたら
えらいことになるところでした。
声をかけていただいたかた ありがとうございました
こういうちょっとした声かけ、
助け合いというのは、
本当にうれしいものですし、
とても大切なことんだろうなと思います。
なんだかんだ言っても
普通にこういうことができる
日本人というのは本当に
素晴らしいなとも思います。
もちろん日本人以外でも
すばらしいかたはいらっしゃいます。
でも、特に日本人にはそういう方が多い
そんな印象がありますね。
先日の大雨の災害の時も、
困っている人をみんなで
何とかして助けるという
お互いの助け合いの精神というのが、
報道の中でも伝わってきました。
助け合いの精神がしっかりとある
これをしたら、自分にとって、
どれだけの利益になるのか?
なんてこと、誰も考えてませんでしたね。
とにかく、みんなで
なんとか命を救って、生きていこう、
そんな思いで、行動している人が
ほとんどだったと思います。
こういう、困っている人を助ける、
みんあで助け合う、
大規模災害の時などに、
よくクローズアップされることです。
そういう災害のような非常時には、
お互いに助け合うということは、
あたりまえのことのようです。
でも、そんな災害の時ではなく
日頃の行動では、どうでしょうか?
災害以外の日常での助け合いは?
たとえば、日常の仕事の中では、
そんな助け合いの精神は、
どこかにすっ飛んでしまっている
そう思えることが本当によくあります。
仕事の仲間や、家族に対しては
どうしても甘えが出てしまうのでしょうね。
これくらい、やってくれて当然
どうしてわかってくれないの?
という感じでしょうか?
これくらいやってくれて当然?
災害の時の助け合い精神を
素晴らしいと感じながら
その一方で、会社の仲間や家族に対しては
なかなか助け合うという気持ちが出てこない
これはどうしてなんでしょうね?
それを考えるときには
感謝という言葉がキーワードに
なってくるような気がします。
災害時には、人に助けてもらうと
あなたのおかげだと、自然と感謝の気持ちがでます。
一方で、日常の仕事や家族に対しては
なかなかそういう感謝の気持ちが出てこない
そういうことなんだろうと思います。
私たちが今こうやって生きていられのは
だれのおかげかということですね。
今生きているのは先祖のおかげ
一番の基本は、先祖、先輩方のおかげ
ということだろうと思います。
一番近い先祖は、両親ですから
まずは両親に感謝です。
もちろん、両親のさらに両親、さらにその両親、
ずっと助け合って生きてこられたので、
今、こうして自分という人間が、
ここに存在しているわけです。
生きていることが有難いことだと考えれば、
両親をはじめとする先祖の方々に
自然と感謝の気持ちが出てきます。
下手な生き方は出来ませんよね。
もちろん企業でも同じです
もちろん、それは企業でも同じですね。
役割分担した人達が、
それぞれの仕事に責任をもって
相互に信頼できる関係にある。
それぞれの責任をしっかりと果たす。
そのうえで、足りない部分は相互にサポートできる。
自然にそれが出来ている企業は
長く生き残っていけるということでしょうね。
ということで、ちょっと
話が大きくなり過ぎました。
あらためて
「しっかりしないといけないな。」
と、思わされた今朝の出来事でした。
必ず誰かのお世話になっている
要は、自分ひとりでは、何も出来ない、
必ず誰かのお世話になっているということです。
それははっきりと目に見える形もあれば
自分の目に見えない形であることもあります。
もちろん、自分も仕事をすることで
誰かの役にたっている、世の中の役に立っている
お互いの助け合い、役割分担です。
仕事とはそういうものですよね。
そして、それは、ずっと
先輩方から引き継がれてきたものです。
私たちは、後輩たち、そして子供たちに
引き継いでいく義務があります。
これまでも、そして、これからもですね。
ムッシュスカラー