「一事が万事」という言葉がありますね。この言葉の意味というか、言いたいことについては間違っているとは思いません。でも、使われかたによって、いろんなとらえ方が出来る言葉だなと思います。
というのも、私がこれまで、この言葉を聞いたのは、多くが、次のような場合だからです。
たとえば、誰かが、何かちょっとした失敗をしたとします。その時に、上司や先輩が、そのちょっとした失敗について、間違ったところを指摘して、正しくできるように指導をします。それ自体は、普通のことです。何も問題はありません。
一事が万事
ただ、指導の終わりの方で、こんなふうに言うことがあります。
「一事が万事だ。他のことも同じだよ。」
そういわれた時に、どう感じるかですね。
もちろん、言った人が誰かにもよりますし、その言い方にもよりますね。
「一事が万事だ。他のことも同じだよ。(だから、君は、他も全部だめなんだ。)」
というふうに聞こえた場合には、言われた方は、自分のすべてが否定されたように感じます。「君は、すべてダメだ。」と言われているような感じです。もし。私なら、がっくりくると思います。
言い方でニュアンスが変わる
それとは少しニュアンスが違う場合は、以下のような感じですね。
「一事が万事だ。他のことも同じだよ。(今、他のことはできているけど、こういう失敗をする時は、他にも出てくる可能性がある。他のことも、念のため、気を付けてくれよ。)」
これなら、そんなにがっくりすることはないと思います。気を取り直して、「よし、他のことも気を付けよう」となると思います。
いずれにしても、言葉が足りていないという感じはしますね。後半のかっこの中の言葉まで伝えた方がわかりやすいと思います。特に、人の間違いを指摘するときには、言葉を選ばないといけませんし、もちろん言い方も大事ですね。
全否定ではなく部分否定
それと、間違いを指摘するときには、その人全体ではなくて、あくまでその人の一部分、間違った部分だけを指摘することが大切ですね。相手をすべて否定する「全否定」ではなくて「部分否定」と言われるものです。
もう少し言葉を補足するとしたら、
「あなたは、いつもよくやっている。でも、今回、この部分に限っては、まちがっていた。そこだけは直していこう。」
そんなニュアンスでしょうかね。
逆に、たとえ、1点だけ指摘されたのだとしても、そのあとに、「一事が万事だ。だから、君は、他のこともダメなんだ。」なんて言われた日には、「こいつ何様だ!」と相手を恨むか、「ああ、俺はダメな人間だ。」と、悲観してしまうか、どちらかになりそうです。
相手を認めている前提
誰かに、何かを指摘をする時には、
「他のことはしっかりと出来ているのに、今回はどうしたんだ。君らしくない。修正して、次はしっかりやってくれよ。」
こんな感じで、まず、相手を認めているという前提があると良いですね。そのうえで、部分的な指摘、指導というのがよさそうに思います。
言葉のかけ方、言葉の使い方を間違えて、知らない間に、相手をすべて否定していると思われていることがないか、気を付けていかないといけないなと思います。
どんな場合でもそうですが、相手の間違いを指摘するというのは本当に難しいですね。
相手も自分と同じように生きている人間です。そして、人間は感情の生き物です。自分が、間違いを指摘された時にどう感じるか、どんな言葉なら、素直に受け入れられるか、そこを考えて、言葉は発していくのが大切ですね。
当たり前のことなんですが、いくつになっても、難しいことだなと思います。
ムッシュスカラー
PS:私が社会人になったころ(35年以上前)の、会社の先輩のなかには、今なら絶対にパワハラだというような人が、わりとたくさんいましたね。人を人とも思わないような物言いは怖かったです…。そういう意味では今はそういう人はあまり見かけませんね。
PPS:逆に、今は、適切な指導でもパワハラと言われてしまいそうな危うさがありますよね。今の時代に、指導する立場に立っている人は、本当に大変だろうなと思います。