○○の常識は世間の非常識

自分としては、
当たり前にしていることが、
他の人にとっては、
全くの非常識であること。

そういうことは
案外、たくさんあると
思います。

会社員時代にも、よく言ってました。
「○○の常識は、世間の非常識」
(○○には会社名が入ります…。)

まあ、非常識とは言わないまでも
自分が何か行動を起こしたり、
自分が何か考えを述べたりしたときに、
「ええっ?そんなふうにしますか?」
とか
「ええっ?そんなふうに考えますか?」
というように、自分以外の人に
びっくりされたことってないでしょうか?

その時に、
「いや、これは、そういうことではなくて」
とか
「いや、これは、特別でして…。」
とか、ついつい、
自分を否定して、相手に合わせるようなことを
自然に口にしてしまったことはありませんか?

もちろん、人によって違いますね。

「そうです。あなたと私は違います。」
とはっきり言う人もいます。
そういう人を見ると、
「おおっ、すごい。自信があるんだな。」
なんて思ってしまいます。

「あなたと私は違う」と言えるか?

わたしなどは、気が弱い方なので
ついつい、自分以外の人の常識を
優先してしまって、
自分の常識を後回しにしてしまいがちです。

つまり、自分の常識を、
他人の常識に合わせようとするのが
習い性になっていますね。

でも、それとはまったく逆で
「相手の常識を、自分の常識に合わさせる」
とする人もいますね。

相手の常識は気にしないで、
自分の常識を、どんどん
前面に押し出してくるタイプの人です。
私などは、苦手なタイプの人ですね。

極論すると、
相手に自分を合わせようとする人、
自分に相手を合わさせようとする人、
この二つのタイプの人が
世の中には存在しますね。

二つのタイプの人がいる

もちろん、現実社会は複雑です。
いつも書いているとおり
何事も100ぜロではありません。

100%相手に合わせるとか
100%自分に合わさせるとか
そんな単純な話はまずありません。

全体の中のある部分は相手に合わせ、
全体の中のある部分は自分に合わさせる、
という感じですね。

また、それとは別の話として、
「絶対にこれだけは譲ってはいけない」
そういうことも世の中には存在します。
そういうことはこの話の枠の外の話です。

このあたり、今の世の中は
上記のような、様々な種類の話を
すべて、ごちゃまぜにして
「何でもかんでも、100か?ゼロか?」
という両極端の意見に無理やりに集約させよう、
そんな傾向があるように感じます。

無理に両極端に集約させようとする…

マスメディアでも、
インターネットメディアでも
同じような傾向はあるように感じます。
自分で、情報収集をするときには、
その点は、特に注意する必要がありますね。

さて、それはさておき、
自分の常識と相手の常識の問題に戻ります。

究極の選択として、
「自分の常識を相手に合わせるか?」
「相手の常識を自分に合わさせるか?」
この一点に話をしぼった場合、
どちらが、より現実的か?
どちらが、より実現可能か?
あなたはどう思われますか?

ちょっと立ち止まって、
冷静に考えれば、おそらく
答えは自然に出てくるのかなと思います。

そうですね。
自分の常識を相手の常識に合わせる方が
より現実的な解決方法になります。

より現実的な解決方法

もっと正確に言えば、
相手の常識を理解して
それに合わせて対応する
ということでしょうか。

なぜかと言えば、
自分の考えを柔軟にして
相手の常識を理解することは、
自分の努力で実現が可能です。

それに対して、
相手に自分を理解してもらうことは
自分の努力だけでは難しいからです。
相手には相手の都合があります。
そんな簡単に考えは変えません。

だったら、出来そうもないことに
貴重な時間を使うよりも、
出来る可能性が高いことの方に
貴重な時間を使う方が
より現実的な選択肢になります。

もちろん、先ほどから
書いている通り、何でもかんでも
100%すべて相手に合わせる
ということではありません。

100%すべてということではなく

譲ってはいけない部分は譲らない。
でも、ここは譲れるかもしれない、
そんなふうに、0%と100%の間の
適切なバランスを探るということです。

どんなに、相手が変わってくれるように
いろいろ手を尽くしたとしても
残念ながら、相手は変わってはくれません。
もし、変わってくれたら
それはとてもラッキーという感じでしょうか。

なので、自分の方が
自分の考え、常識を変えていくというわけです。
相手をどうこうするということではなく、
自分の方から、自分の常識を調節して
相手と、ちょうどよいバランスを
探っていくということです。

何度も言うようですが、
一方的に、100%相手に合わせると
いうことではありません。
ちょうどよいバランスのところで
相手と自分の常識というものを
すり合わせていくということでしょうか。

100ゼロではなく、すり合わせ

世の中、一人だけでは
生きていけません。
何をするにしても、
自分以外の人の協力は必須です。

その時に、どうやって、
相手と考えを合わせてやっていくか?
常識というものを共有してやっていくか?
これは、避けて通れない問題ですね。

「相手が、自分のことをわかってくれない」
そうやって、文句を言い続けていると
永遠に、その状態が続きます。
本当に永遠に続きますよ、冗談ではなく…。

「自分の常識を変えることで、
相手のことをわかるようになる。」
そうすることで、文句を言い続けなくて
前に進んでいけるということですね。

とても、シンプルな話なのですが
この現実の世界で、
このシンプルな話を実践して、
常に前進を続けている人は、
まれなのではないかと思います。

シンプルな話でも実践は難しい

相手の常識を変えるのではなくて、
自分の常識を変えて対応していく。

相手の常識を理解したうえで
自分のとるべき行動を考える。

自分自身、いつも気にしながら
実践らしきことをしているのですが
なかなか難しいです。
そんな簡単な話ではありません。

でも、これは、大げさに言えば、
生きている間は、ずっと、
やり続けていく価値がある。
そんなふうに思って、
へたくそながら
やり続けているところです。

 

ムッシュスカラー

 

PS:「自分の常識を変える」ことは、実現は可能なのですが、かなり難易度が高いのも事実ですね。それほど簡単なことではありません。でも、難しいからこそ、少しでもできれば、いろんなことが大きく変わっていきますね。やるだけの価値はあります。

PPS:「他人の常識を変える」ことは、これは不可能です。そこは割り切って、やっていくことが大事ですね。どんなに願っても、どんなに祈っても、他人を変えることはできません。

PPPS:こういう話は、名著と言われる「7つの習慣」にも出てきた話だったと思います。どこに書いてあったかまでは覚えていませんが、「あっ、これだ。」と思った記憶があります。

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