「経済無き道徳は寝言である。」
ちょっと過激な発言ですよね。
最近の海外の人の言葉かなと
私などは思ったのですが、
実は違います。
だれの言葉かというと
江戸時代後期の日本人
二宮尊徳(二宮金治郎)
の言葉なんだそうです。
この言葉には、前半があります。
前半も含めて紹介すると
以下のような言葉になります。
道徳無き経済は害悪であり、
経済無き道徳は寝言である。
このような言葉を紹介すると
「道徳と経済を一緒にするな!」
とお叱りを受けそうですね。
経済と道徳の関係は?
私も、どちらかというと
若いときには、道徳と経済は、
全く別の物だと思っていました。
「無償の善行」というんでしょうか?
「報酬無しで、ボランティアで活動すること、
そういうのが、人間の本来のあり方では?」
そんなことを考えていました。
でも、そうではないんですね。
実際、無料の奉仕というのは
すぐに行き詰まります。
ある程度の年齢になってから
本当に遅まきながらですが
そんなあたりまえのことが
わかるようになりました。
世界は経済活動で維持されている
冷静に世界を見ると、
世界は経済活動で回っています。
経済活動が無ければ、
この世界は維持出来ません。
言葉を変えれば、
経済活動というのは
販売活動(セールス)のことです。
ある人が物やサービスを売り、
それを必要な人が買うという活動、
この活動で世界は回っているということです。
「金は天下の回り物」
という言葉がありますが
まさに、その通りです。
金は天下の回り物
ただし、お金儲けさえ出来ていれば、
それでいいということではありません。
それが前半の部分で言われていることです。
お金儲けが、道徳無しに行われれば、
それは、害悪になる、
それは、犯罪になるということです。
昨今、ニュースなどで
お金さえ儲かれば、何をしてもいいんだ、
人の道を踏み外すこともかまわない、
そんな風潮について
報道されることがありますね。
このあたりの問題について
江戸時代の日本人が
すでにしっかりと認識していたんです。
なかなかすごいことだと思いませんか。
日本人は道徳重視?
私は若いころ
日本人のイメージを、
こんなふうに感じていました。
日本人というのは、昔から
道徳をとても重視する。
道徳的に良いことは、お金には
関係なくどんどんやっていく。
逆に、お金儲けについては
あまり積極的ではない。
むしろあまり良くないことだと考えている。
こんなイメージでした。
でも、現実の日本人は、
そうではなかったんですね。
もちろん、すべての人が
そうだったわけではないのでしょうが、
江戸時代から、道徳と経済をセットで
考えている人もいたんですね。
道徳と経済をセットで考えていた
道徳というものは、経済というものと
セットで考えていかないと
寝言になる、妄想で終わってしまう、
それがわかっていたんですね。
少しニュアンスが異なりますが、
「衣食足りて礼節を知る」
という言葉もありますね。
経済的な裏付けがあってこそ
人としてあるべき姿を維持できる、
また、人のための役立つ行動が
出来るということです。
この経済と道徳のバランスが
なかなか難しいということ、
それを表しているのが
二宮尊徳の言葉です。
バランスがなかなか難しい
経済に振れ過ぎると、害悪、犯罪になります。
逆に、道徳に振れ過ぎると、寝言になります。
日本も、世界も、
この道徳と経済の間を
いったりきたりしながら、
少しずつ進んできたのでしょうね。
自分自身のことを考えれば、
若いころは、道徳の方向に
かなり偏っていた気がします。
なので、社会人になった当初、
営業に関する仕事を始めた時には、
お金儲けに対する抵抗がありました。
なので、なかなか売れませんでしたね。
お金儲けに対する抵抗
ようやく、このごろになって、
お金儲けに対する抵抗というのが
小さくなってきたところです。
かなり遅すぎる感じはありますが…。
もし、あなたがお金儲け、
別の言葉で言えば、経済活動について、
否定的な感覚をお持ちでしたら、
ぜひ、この二宮尊徳の言葉を
思い出していただければと思います。
ともあれ、100年以上前に、
このような見事な発言をされていた
日本人の大先輩に、感謝したいと思います。
ムッシュスカラー
PS:この言葉を本当に二宮尊徳が言ったのか、後世の人が想像して記載したのか、そこはよくわかっていないようです。でも、二宮尊徳は、道徳と経済を見事に両立させた業績を残されているとのことですので、その事実をもって、二宮尊徳の言葉にしてもいいのかなと、個人的には思います。