こだわらないということ

何か良い話を聞いた時に
それを、その後、どのように
自分に活かしていくのかについて、
すぐに取り入れられる人、
なかなか取り入れられない人、
いろいろです。

その中で、ものすごく上手に、
自分の生活パターンの中に、
取り入れていける人、
どう表現したらいいんでしょうか、
いわゆる柔軟に対応が出来る人ですね。

こういう人は、
インプットした情報を
自分の環境で、
アウトプットする時に、
ワンクッション、間にはさむ、
そんな感じでしょうか?

たとえば、
「毎日、1時間瞑想をしたらよい」
という話を聞いた時に、
少し考えるわけです。

「そうか、毎日、1時間瞑想か。
なるほどなあ。
でも、今の自分の環境では

毎日、1時間は無理だな。
まずは、毎日10分だけやってみよう。」

というように、自分が出来るように
内容を変化させるわけです。

内容を自分仕様に変化させる

もちろん、この場合でも、
この「1時間」というのが、ものすごく
大事な条件の場合には、
「1時間」というのはそのままにします。

で、頻度の方を、
「毎日」「毎週」に変更するとかして、
自分が可能なやり方を考えるわけですね。

話の内容をよく理解して
もし、頻度の方が大事なら、
「毎日」というのは変えないで、
「1時間」というのを「10分」
いうように変えるということです。

もちろん、それらの折衷案も
ありますよね。
実行することによる効果を
出来るだけ損なわないように考えて、
自分が出来る範囲でやる
ということです。

自分が出来る範囲でやる

一方で、ものすごく真面目な人は
本当に、完全に、完璧に
話で聞いたとおりにやろうとします。

「瞑想を毎日1時間」と言われたら、
それ以外の選択肢はないわけです。
「何が何でも、毎日、1時間の瞑想
これが絶対である。その通りにやる。」
というふうに考えます。

なので、きっちりと、正確に、
毎日1時間の瞑想が出来なければ
「ああ、全然だめだ。自分は出来ていない。」
と考えて、自分を責めるわけですね。

そういう人を横から見ていると
「別に、絶対に1時間でなくても、
いいじゃありませんか。

それに、毎日でなくても、
2日に1回でも、
以前よりは
確実に瞑想をやっているのだから

前進しているんじゃありませんか?」
なんて、思ってしまうんですよね。

完璧でなくてもいいのでは…

ところが、そうは考えられないのが
このような真面目な人達です。
(自分も、時々、その一人になりますが…)

「いやいや、それではダメだ、
それでは、やっていることにならない。」
と言って、納得しないわけです。

こうやって書くと、
とても滑稽に感じますが、
私たちは、いろいろなことで
似たようなことを考えたり、
してしまったりしていないでしょうか?

とても優秀な人の話を聞いた時に、
同じように出来ない自分を卑下したり、
あるいは、どうしても
話で聞いた通りのことを
そのまま実行してみたくて
とてつもない無理をしてみたり。

それよりも、今の自分にとって、
ちょうどよいレベルに調整すること、
まずは、そこから始めていくことで、
スムーズに動きだせるのだろうと思います。

レベル調整が必要、だけど難しい

とはいえ、そこが、実は、
一番、難しいことなんだろうなと思います。

自分のことをわかっているようで
実は、よくわかっていない、
それが、ほとんどの人なのでは
ないでしょうか?

逆に、ごく少数の人が
冷静に、客観的に自分のことを
わかっている人です。

自分の今のレベルで出来ることを
理解して把握できています。

そういう人は、物事にチャレンジするときに
高過ぎず、かといって低過ぎないレベルに
レベルの高さを調整しながら、
物事にチャレンジしていくことが出来ます。

世の中にあふれている成功談について
今の自分のレベルに合っているか考えてみる。
もし自分のレベルに合っていないなら、
自分のレベルに調節することは可能か、
それを考えてみる。

そのうえで、今の自分にとって有益かどうか、
そういう判断が自然に出来るのでしょうね。

背水の陣でやる?

「退路を断って、背水の陣でやれ!
そうでないと成功は出来ない!」
という話をされる人は多いです。
確かに一理ある話だとは思います。

でも、それは、すべての人に
当てはまるわけではありません。

その人は、その方法で
うまくいったかもしれませんが
自分にもそれが出来るかどうかは
誰にもわかりません。

となれば、出来なかった時のことも
しっかりと考えたうえで、
踏み出すことが必要ですね。

プランAがダメだった時の
プランB、プランCを
考えておくのが賢明です。

いずれにしても、
「これしか正解はない、
これ以外に良い方法はない。」
ということは、
ほとんどのケースで、あり得ません。

「これしかない」ということはない

解決のレベルの差はあれ、
いろいろな解決方法があるのが普通です。
A案、B案、C案、
いろいろとあるはずです。

そして、どの案がよいか、
どの案を選択するか、
それも、人によって異なりますね。
どんな人にも適合する
絶対的な正解があるわけではありません。

そこのところ、
一つの考え方にこだわりすぎないように
頭を柔軟に切り替えていくこと。

このことは、これからの時代、
将来が不透明の時代には、
ますます、必須になりそうな感じです。

 

ムッシュスカラー

 

PS:今日の話とちょうど正反対で大事な話があります。それは、とにかく師匠の言ったとおりにやる。とにかく、まずは、師匠の言われるそのままをやってみるという話です。よくいわれる「守破離」の最初の「守」です。「自分の考えは横において、つべこべ言わず、何も考えずに、完全に言われた通りにやる。」という方法ですね。今日の話と矛盾するようですが、こちらもとっても大事なことです。でも、「こだわらない」という観点で考えれば、同じ話になるのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です