けっこうきつい言い方をしたり、
けっこう無愛想な態度を取ったり、
周りにいる人が心配するほど
周りに気を使わない人がいますよね。
そういう人のなかで、
こんなふうに、自分を
正当化する人っていませんか?
「ああ、ごめん、私って
こういう言い方しか出来ないんで。」
「ああ、悪いね、私って
こういう人間だから、気にしないで」
「ああ、すみませんね。私って、
人に気を使うのが苦手だから。」
また、対面でなくても
メールの文面でも、こんなことを
経験したことがあります。
それは、会社のそれなりの
立場の方からのメールでしたが、
「ええっ?いくら何でも
この書き方は失礼やろ。」
というような文面でした。
その時に、そのメールのccに入っていた
私の当時の上司から、
「ああ、この人、こういう文面だけど
別に悪意があるわけではないから。
こういう書き方をする人だから
気にしないでいいから。」
と、言われたことがありました。
まあ、その時は、
「ああ、そうなんですね。
そういうことなら、わかりました。」
と、それ以上は何も言いませんでしたが、
ちょっと、気になった事件でした。
ちょっと気になった事件でした
何が言いたいかというと、
「自分はこういう人間なんで
あなたは気にしなくていいから。」
というように、
自分の性格について、割り切っていて、
スッキリしているように見える人、
こういう人は、自分のことを
とても冷静に見ています。
でも、別の見方をすると
「自分で自分の成長を止めてしまっている」
ということも言えます。
このように書くと、そういう人を
批判しているように見えますね。
でも、実は、このことは、
他ならぬ自分自身のことでもあるんです。
あなたも心当たりはありませんか?
他ならぬ自分自身のこと
私などは、何か出来ないことがあると
「ああ、自分はこういう人間なんで
しかたがないんです。気にしないでください。」
などと言って、逃げてしまうことが
本当によくあります。
特に、最も近い人間関係である
妻との間では、しょっちゅうです。
妻の繊細さについていけない時に
「自分は鈍感なんで、ごめん、
気にしないで。」
と言って、お茶を濁してしまいます。
でも、これって、言われた方は
あんまり気分が良くありませんよね。
つまりは、
「そんなこと言われたって無理だ。
私にはそんなことは出来ない。
自分を変える努力なんてしないよ。」
と言われているのと同じことですから。
もっと言えば、
「あなたの気分がどうなろうが、
自分はこうしかできないんだから。
もし気分が悪かったら、
あなたが我慢するべきだ。」
と言っているのと
同じことかもしれません。
あなたが我慢するべきだ…
こういう考え方を聞いて、
「なるほど、わかりました。」
と心の底から納得できたら、
その人はものすごい人格者か、
あるいは、人生の達人でしょうか。
自分も含めて、普通の人は、
「いやいや、もうちょっと何とかしたら?」
「そのままじゃあ、ダメでしょ。」
「そのレベルでいいの?変わろうという気がないの?」
と言いたくなるのではないでしょうか?
自分が、もし今、
そういう人と出会ったら
「ああ、そうですね。了解です。」
と、軽く返事はするでしょうが、
あまり積極的に付き合おうとは
思わないと思います。
でも、他人から、自分自身を
冷静に観察された場合には
「ああ、この人はダメだな。」
と思われている可能性は
いくらでもあるのだろうと思っています。
自分自身に対する評価?
ですが、そのあたりは、
細かく追及しても、
わかるはずもありません。
なので、出来ることがあるとすれば、
今まで無理だとあきらめていたことの中でも
もしかしたら無理ではないことが
あるかもしれない。
今まで諦めていたことの中でも、
自分が勝手に諦めていただけで
本当は出来ることがあるかもしれない。
そうやって、あらためてやり直してみる、
そうやって、自分を変える努力を再開してみる、
そんな努力をしてもいいのかもしれませんよね。
自分で自分という人間を
枠にはめてしまうのはもったいないです。
自分自身に対する先入観というものを
一度、考え直してみる。
いくつになっても、
やってみる価値はあると思います。
ムッシュスカラー
PS:自分で自分のことを冷静に観察して、客観的な判断を下すというのは本当に難しいです。自分自身を考え直すと書きましたが、「無理なものは無理」という判断が正しいという場合もありますね。そこのところは悩ましいところです。ただ、「無理なものは無理」という判断によって、自分以外の人に迷惑がかかる場合には、他の人にサポートをお願いするなど、何等かの対応策を考えた方がよさそうです。