「苦労は買ってでもせよ」って本当に?

「苦労は買ってでもせよ」
という古い格言があります。
今の若い方はご存じないかもしれません。

私が若かったころに、
その時の私の親の世代の人で
こういうことを言われていた方々が
けっこう多かったように思います。

「人生、生きていくなら、
苦労は買ってでもすること
そうすることで立派な人間になれる」
という意味合いだったと思います。

小さいころ、初めてこの言葉を
聞いた時に、
「そうか、そうやって、人は
成長していくものなんだな」
と感心したことを覚えています。

逆に、
「何の苦労もなく育つというのは
あまり、良くないことなのかな?」
と、苦労をしないことへの
罪悪感のようなものを、
何となくですが、
感じていたように思います。

ただ、そうは感じながらも、
この言葉には、今では、
ちょっと違和感があるんですね。

というのも、
私の人生の師匠と言える人が
このことわざについて
次のように言われていたからです。

・・・・・・・・
「『苦労』は買ってでもせよ」
ということわざは、
本当の「苦労」というものを
知らない人が言ったことだ。

本当の「苦労」というのは、

「今日を生き残れるか?
明日はもう無理かもしれない。」

そんな状態のことを言うんだ。

だから、私は、決して
人に「『苦労』をしたらいい。」
などとは言えない。

なぜかといえば、
「苦労」がどれほど
恐ろしいものかを
知っているからだ。

どうしても避けられないならともかく
「買ってでも、苦労せよ」
など、とんでもないことだ。
「苦労」などしない方がいい。

ただ、よく誤解されるが、
「苦労」はしない方がいいが、
「努力」はしないといけない。
「苦労」という言葉と
「努力」という言葉を混同しないことだ。
・・・・・・・・・

そんなふうに言われていたのを思い出します。

自分が若い時に
「苦労」だと思っていたのは
実は
「努力」の事だったんだな、
その話を聞いて、
初めてわかりました。

「苦労」と「努力」は違う

こんなふうに、
世間で、一般的に言われている
ことわざ、格言のようなものでも
言葉の定義があいまいなものがあります。

言葉の定義があいまいなまま
なんとなく、使われていて、
なんとなく納得していることが
実はたくさんありますね。

ことわざに限らず、
日常の会話でもそうです。
言葉の定義があいまいなまま、
なんとなく使っている言葉は、
結構、たくさんあります。

同じ言葉を使っていても
その言葉が意味している内容が
人によって全然違うということは
珍しいことではありません。
というか、いつも、そうです。

言葉の定義を大切にする

ぜひ、あなたも、
言葉の意味、言葉の定義
それを大切にして
コミュニケーションを
取っていただければと思います。

そうすることで、要らぬ誤解を
避けることができます。

言葉の定義があいまいなばっかりに
信頼関係を失ったという経験は
本当に、数えきれないくらい
たくさんあります。

おそらく、あなたの周りにも
たくさんあると思います。

言葉の定義を大切にすること。
日常の生活をよくしていくための
ちょっとしたアドバイスです。

 

ムッシュスカラー

 

PS:言葉の定義、本当に難しい問題ですね。コミュニケーションで問題が起きる時には、たいてい、言葉の定義が人によって違っていることが原因になっています。自分自身も、いまだにやってしまう失敗です。気を付けていきたいと思います。

PPS:逆に、あえて言葉の定義をあいまいにすることで、自分の身を守るという場合もありますね。すぐに揚げ足取りをするような、今の世の中では、そういうことも、時には必要かもしれませんね。

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