「あなたの個性を出すこと。」
「他人のアイデアをパクるなどもってのほか。」
「あなた独自のアイデアで勝負しなければ。」
あなたは、言われたことありませんか?
そんなふうに言われると、
「まあ、それはそうだよなあ。」
と思いますよね。
でも、一度、じっくりと
考えてみてください。
世の中に、厳密な意味での
オリジナルというのは、
どのくらいあるんでしょうか?
たとえば、あなたが話している言葉
あなたが日本人であれば、日本語です。
これは、どうやって
出来たんでしょうか?
日本語はどうやって出来た
ある日、誰かが
思いついたものなんでしょうか?
オリジナルは、だれのアイデア
なんでしょうか?
それと、あなたは、
どうやって、日本語を話せるように
なったんでしょうか?
オギャーっと、生まれた時から
誰からも教わらないで、
自然と、日本語がしゃべれるように
なっていたんでしょうか?
そんなことはないですよね。
お母さん、お父さんの
話している言葉を聞いて、
真似することで、少しずつ、
日本語というものを
覚えて話せるようになったんですね。
言葉だけでなく、いろんな動作、
スプーンを持つ動作、箸を使う動作、
運動や、料理などもそうです。
日常的に行っている動作も
すべて、まねをするところから
始まっています。
まねをまったくしないで、
完全なオリジナルというのは、
ほぼ、ないのではないかと思います。
完全なオリジナルは、ほぼ無い
逆に、おかしな話ですが、
オリジナルにこだわろうとすると
自分が知っている事を、
意図的に避けないといけなくなります。
つまり、意識して、
慣れている事とは別のことを
しないといけなくなります。
ものすごく窮屈な感じになります。
そんなことはしなくていいですよね。
日本の古典の和歌でも
本歌取りという手法があります。
昔に作られた和歌を題材にして、
新しい和歌を作る手法ですね。
「本歌取り」という創作
これも、昔の作品を利用しているので
完全なオリジナルではありません。
でも、立派な創作物として認められています。
現代でも、名作と言われる創作物は
過去の名作のアイデアについて
物語の設定、流れなど、
まったくそのままではありませんが、
上手に引用しているものが
数多くあります。
詰まるところ、
これまでに見たこともない
オリジナルなアイデアに見えたとしても、
ほとんどは過去のアイデアが、
利用されているということです。
過去のアイデアが利用されている
それが、意識的である場合もあれば
無意識の場合もあります。
無意識の場合というのは、
日本語と同じで、アイデアが
自然に、自分の中に存在している場合ですね。
なので、
「オリジナルじゃないとだめだ」
ということにこだわる必要は
ないように思います。
過去の偉大な先人たちに感謝しつつ
先人のすばらしいアイデアは、
どんどん利用させてもらえばいいんです。
そうすることで、偉大な先人たちも
よろこんでくれるのではないか、
そんな気がしませんか?
偉大な先人たちも喜んでくれる
ということで、
今日は、オリジナルにこだわることについて
普段から考えていることを
お伝えしてみました。
ムッシュスカラー
PS;とはいえ、まるパクリは、だめです。同じ時代、同じ国、同じ業界で、誰かと全く同じことをするのは、よろしくないですね。今だと訴えられるかもしれませんね。言い換えれば、別の時代、別の国、別の業界なら問題ないということです。