「間(ま)」という特別な時間

私が住んでいる
大阪府の南部地域では
毎年、だんじり祭りが行われます。
とっても勇壮なお祭りです。

以前なら、実際に現場にいかないと
お祭りというものを
見ることは出来なかったですね。

でも、今はyoutubeのライブ配信で
全国どこからでも、
見られるようになりました。

とはいえ、もちろん、
生の迫力というのは、
実際に、現場でリアルで見ないと
伝わってきません。

というか、実際にリアルで見て
初めて、本当の祭りの雰囲気、
本当の迫力というのが感じられます。

リアルで、生で見て、迫力が感じられる

これは、実際にリアルで見た人にしか
感じられない感覚だと思います。

有名アーティストのコンサートの
ライブ公演と同じですね。

実際に、ライブ会場で、
ライブの演奏を生で
見て聞いて体験するのと
後日、録画されたものを見るのとは
ずいぶん、感じ方が違います。

講演会と言われるものでも同じです。
政治家の演説でも同じかもしれませんね。

リモートでなく、リアルのイベントの場合、
その時間、リアルタイムで参加した場合には、
直接、感性に訴えかけてくるものがありますね。

感性に訴えかけてくるものがある

それと、もう一つ、
生でないと感じられないことがあります。
それは何だと思いますか?

同様に、一切編集なしのライブの番組と、
不要な部分をカットして編集された番組とでは、
やはり違いがあります。
それは何だと思いますか?

少し考えてみたください。


それが何かというと、「時間」です。
別の言葉で言えば「間(ま)」ですね。

それは「時間」「間(ま)」です

特に、「何も行われていない時間」です。
「待ち時間」のようなものです。

例えば、お祭りでも、
スポーツの試合でもそうですが、
準備万端、すべてスタンバイしたうえで、
「さあ、これから」という時に、
ある程度の待ち時間というのがあります。

この待ち時間というのが
ライブでは、とても重要です。

編集された番組だと、そういう時間は、
大抵の場合、カットされますね。

でも、ノーカットのライブで見ていると
そういう時間こそが重要になってきます。

待ち時間、間(ま)こそが重要

息をのんで、何も変化しない場面を
じっと見つめるという感じになります。

「さあ、これから、本番だ。」
という時の、なんとも言えない緊張感、
その張り詰めた緊張感が
見ている側にも伝わってきます。

「これこそがたまらない」
と感じるのは、私だけでしょうか?

時間の効率だけを考えた場合には、
こういう「待ち時間」「間(ま)」
というのは不要ですよね。
なのでどんどんカットしていきます。

確かに、時間あたりの情報量を考えたら
出来るだけ「待ち時間」「間(ま)」というのは
減らしていくのが効率的です。

効率を考えたら不要な時間

でも、お祭りなどの伝統的な行事、
スポーツの試合でもそうでしょう。
その他、さまざまな芸術でも、
伝統的な式典でもそうです。

この「間(ま)」というもの、
意味がなさそうに見える「空白の時間」
「待ち時間」というのが
実は、とっても意味があるように思います。

我々は、小さいころから、
特に、社会人になってからは、
すべて効率的なことがベターだと
教えられてきたように思います。

しかし、現実には、
非効率的なことの中に
人間性を豊かにするために、
とても重要なことが
含まれているように思います。

非効率的なことに重要なことがある

落語や漫才でも、
「間(ま)」というものが
とても重要ですよね。

話している途中の、無言の時間、
長い数秒の間であったり、
ほんの一息の間であったり
この無言の時間、
つまり「間(ま)」があるからこそ
その前後の話が生きてくるということです。

ひたすら効率的に、
朝から晩まで、休む間もなく動いている、
もちろん、それはそれで素晴らしいことです。

ただ、効率だけに目を向けることなく
一見、無駄に見える何もしない時間
「間(ま)」のような時間、
意識的に作る「待ち時間」というのも、
あえて作る必要があるのかなと思います。

待ち時間をあえて作る

それは「休憩」ということにもつながりますが、
疲れたから休憩ということだけでなく
やる気満々で、疲れていなくても
あえて「間(ま)」という時間を作る。

そのことで、それまでとは、
すこしちがった発想、考え方が
出てくるのではないかと思います。

もちろん、人と会う時でも
こういう「間(ま)」というのは大事ですよね。
要は、「効率的」というのが、
常に良いとは限らないということです。

 

ムッシュスカラー

 

PS:効率的という言葉は、会社人間だった時には、ほんとに金科玉条のように言われてましたね。非効率なものは、すべて排除という感じはありました。でも、あまりにそれが行き過ぎると、仕事も人間関係もギスギスするように思います。ある程度の「間(ま)」、別の言葉で言えば「遊び」は必要なんでしょうね。

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