「自分はこんなにがんばっているのに,まわりの人が認めてくれない。」と感じることはありませんか?白状すると,私自身が若い時によく思っていたことです。
こういうことを,当時の友人に相談したら,
「それは認めないやつが悪い,お前は頑張っているよ。」
と言われて,なんとなくホッとしたのを覚えています。
もし,自分が親で,若い時の自分と同じように、子供から相談された時は,この友人と同じような言葉をかけると思いますね。
師匠のアドバイス
ただ,一度だけですが,自分が人生の師匠と尊敬する人に、同じように質問したことがあるんです。その時のアドバイスは手厳しかったですね。
あなたが認められないのは,答えはシンプルです。
あなたの努力が足りないから,ただ,それだけですよ。
あなたのまわりにいる人すべてが,口をそろえて
「そこまでやっているあなたを認めないなんて、それは周りの方がおかしい!」
そう言われるくらいまでやりましたか?
そう尋ねられて
「はい,やりました。」
と答えられるだけの努力はしてなかったと思います。
努力の程度
そこには,
「あの人なら認めてくれるはず」
「この点は,かなりいい線いっていると思うんだけど」
「わかってもらえてないのかな?」
というようないろいろな思い込みがありましたね。
でも,その時のアドバイスでは、そんなものは、一刀両断でしたね。
「誰かに認めてもらえるかもしれないという程度の努力は、努力と言わない。」
「誰もが,嫌でも認めざるを得ない,というくらいの努力をしてはじめて認められる可能性がでてくる。」
「わかってもらえないのなら,わかってもらえるまでやる。それでもわかってもらえないこともある。」
そんな感じでした。
出来る人は少ない
まあ,もちろん,そこまで出来る人は,世間には少ないんだろうと思います。でも,そのアドバイスをいただいたかたは,やっておられたんですよね。だから,何も反論できなかったというお話です。
ついつい,自分を認めてくれる人を,無理やりでも,探したくなりますよね。もちろん,それ自体は人間の自然な感情です。それ自体は否定はしません。それに、それくらいのゆるさがないと,生きてくのがしんどいですよね。
ただ,自分の経験として、自分が認められているかどうか気になったような時には,たいてい,この師匠の言われることが当たっていたと思います。
人の評価が気にならない
「誰が見ても,嫌でも認めざるを得ない」というくらいに、努力をしている時には,人の目,人の評価など、全然気にしていませんよね。そもそも「認められるかなあ」と考えている時点でアウトということなんだろうと思います。
ということで,最近,自分の過去の日誌を見ていて,ふと思い出したので,書いてみました。まあ,「これだ!」と思うものがあるなら,認められるかどうかなど考えずに,とにかく頑張ってみるのがよいのかもしれません。
ムッシュスカラー
PS:ちなみに,どんなに頑張っても認められないこともあります。その時には,頑張りの方向性が違っていた可能性がありますよね。そこは謙虚に考えて軌道修正すべきかもしれません。そういう時には、信頼できる人に相談するのも大切ですね。
PPS:また,方向性が間違っていなくても,世間が間違っているということもあります。なので、究極的には,認められようが認められまいが,正しいと信じることは,とにかく頑張るということになるのかもしれませんね。