もう少し、こうであってくれたら…

「もう少し、こうであってくれたら…」
あなたも考えたことはありませんか?

たとえば、こんな感じですね。

あなたの目の前にいる人に対して
「もう少しあなたがこうであってくれたら…」
ネットニュースなどを見ながら
「もう少し世の中がこうであってくれたら…」
会社の状況を考えながら
「もう少し会社がこうであってくれたら…」

このような様々な思いです。

「そんなこと、一度も考えたことないですよ。」
なんていう人は、いるんでしょうか?
おそらく、誰でも、一度くらいは
考えたことがあるんじゃないかと思います。

もし、本当に一度もそんなことを
考えたことはない、という方がいれば、
ほんとうに、すごい人だと思います。

何がすごいかというと、
「周りに何も求めない」
ということですね。
「すべて自分の責任」
「依頼心を持たない」
という発想ですね。

すべて自己責任、依頼心なし

「他人に期待はしない」というか
そういう意味では、
「淡々としている」
といえるのかもしれません。

あるいは、ものすごく冷静に
もっといえば、ものすごく冷徹に、
人間というものを考えている
といえるのかもしれません。

いずれにしても、
めったにそんな人には
お目にかかることはありませんね。

さて、あらためて考えてみると、
「もう少しこうであってくれたら」
という発想、考え方というのは、
「ないものねだり」
だということがわかります。

ないものねだりをしている

そもそも、現実にはあり得ないことに対して
そうであってくれたらと思っているわけです。
逆に言えば、
「そうならないであろうことは
最初からほぼわかっている。」
ということでしょうね。

にもかかわらず、無理は承知で、
「どうにもならないことを願い続ける」
という、とても非合理的な行動と言えます。

で、この
「もう少しこうであってくれたら」
ということを、思い続けると
どうなると思いますか?
何かが変わっていくと思いますか?



そうですね。
残念ながら何も変わりませんね。

残念ながら何も変わらない

そもそも、そうならないことは、
最初から、理解済みなんです。
なので、状況は何も変わらず、
そのままの状態がずっと続くだけです。

思っただけで何とかなるなら
これほど、楽なことはありません。
それほど、人生、簡単ではないですよね。

自分の思った通りにならないのが
自分の周りの環境、すなわち
目の前の人、所属している会社、
そして、国、世界だと思います。

でも、その中で、
唯一、自分の思いだけで
何とかなっていくものがあります。

自分の思いだけで何とかなっていくもの

そうですね。
それは、「自分」ですね、
というか「自分の生き方」ですね。

「自分の思いだけで何とかなる。」
と言い切ってしまうと
言い過ぎかもしれませんね。
「何とかなる可能性が少しはある。」
くらいの表現が適切でしょうか。

少なくとも、自分以外のことに対してよりは
明らかに可能性は高くなります。

そもそも、自分以外の人が
自分が思うように変わってくれる
なんてことは不可能です。

つまり、極論すれば、
自分以外の人や組織に対して
「こうであってくれたら…」
と思い続けるというのは
「時間の無駄」
ということになるのでしょうね。

じゃあ、何をするかとしたら
「自分以外の人のこと」
とりあえず、横において、
「自分」に対して何かを思うことですね。

他人は横においてまずは自分を考える

「自分がこういう人間であってくれたら」
これなら、自分の思いの力で、
何とかなる可能性があります。

「自分がこうであったら」
というところをめざして、
自分が変わる努力をする。

シンプルにそこに注力するのが
時間を無駄にしないベターな方法ですね。

自分以外の人に対してどうこう思うのでなく
自分を何とかするようにもがいてみる。
そういうのが、より現実的で、より確実な
人生の生き方であるように思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:自分の思い通りに行かないのが普通ですと書きましたが、ごくまれに、周りの環境も含めて、自分の思い通りに人生が進んでいくような、運のよい人がいるのかもしれません。でも、それはそれで、面白味がなくて、案外つまらない人生のような気がしないでもありません。負け惜しみでしょうかね…。

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