「無駄なことはしない。」
「無駄は省く。」
「時間を無駄にしない。」
「無駄」という言葉は、
よく使われる言葉ですよね。
では、「無駄」の定義はなんでしょうか?
ネットで調べると、以下のように
記載されていました。
『しただけの効果や効用のないこと。
役に立たないこと。また、そのさま。無益。
(データ提供元: Oxford Languages)』
「やっただけの効果や効用のないこと」
って、ありますが、では
「やっただけの効果、効用」
ってなんでしょうか?
この言葉の定義自体が、
けっこう、あいまいです。
たとえば、最近、
大きな地震がありました。
この地震に対する対策が
「無駄」かどうか?
こういうのは、
どう考えたらいいのでしょうか?
地震対策は無駄なのか?
何をどれだけやったら
何に対して、どれくらいの
効果があるのか?
それを考えるのは
とても難しそうです。
でも、何らかの対策を
打たなくてはならない。
それは、誰が考えても、
間違いのないことだと思います。
たとえば、地震対策について、
よく言われる事例としては
以下のようなものがあります。
津波対策:防潮堤を高くする
液状化対策:地盤の改良をする
ライフライン対策:バックアップシステムの構築
これだけではありません。
本当に多種多様な対策があります。
やろうと思えば、いくらでも
やれることはありそうです。
やろうと思えばいくらでもできる
でも、もし、地震が起きなかったら
そういうものは、どれも
要らないのかもしれません。
その場合は、それらの対策は、
「無駄」になるわけです。
実際、地震が起きない国では
そもそも、「地震に対する対策」
という発想自体がないですから
そんな対策は行われません。
では、いつ起きるかわからない、
あるいは、もしかしたら、
起きないかもしれない地震に対して
その対策を打つというのは、
無駄なんでしょうか?
「確率が低いなら、無駄だ!」
と明言されるかたも、
いらっしゃいますね。
「そんな、いつ役に立つか
わからないことに、お金をかけるなら、
今すぐに役に立つことに、
お金をかけるべきだ。」
という考え方もあります。
短い時間の中で考えるなら
もちろん、ありだと思います。
でも、長い、たとえば、
50年、100年という期間で
考えた場合にはどうでしょうか?
いろいろな考え方があります
結局、どの考え方も、一概に
否定はできないと思います。
あなたはどう思われますか?
この「無駄」という言葉は
実はとてもやっかいな言葉です。
地震対策に限らず、
日常でもよく使われる言葉です。
たとえば、何かの活動、何かの予算で、
「この活動、この予算は
これだけの効果、効用がある。」
と、客観的な数値でしめせるものが
どれくらいあるでしょうか?
また、その客観的な数値というのは
どれくらい信用できるものでしょうか?
活動、予算の効果、効用というのは、
それこそ多種多様の考え方があります。
定量的に示すのも、いろいろな方法があります。
だから、評価は、ものすごく難しいです。
一方で、これまでのことを
これまでどおりにやっていく
いわゆる「ルーティンの活動、予算」については
活動、予算と、それらの効果、効用の関係は
比較的、はっきりしています。
過去に実際に起こったことなので
様々なデータを取って検証すれば、
100%正解と言えないまでも、
事実の確認が出来ます。
ルーティンは、過去の検証で確認できる
でも、未来に向けて、
「今までに経験のない
新しいプロジェクトを実行していく」
あるいは、地震対策のように、
「未来の不測の事態に備えて、
何かの対策を打っていく」
そのような場合には、活動や予算が
どれくらいの効果、効用を発揮するのか?
そんなことは、おそらく誰にもわかりません。
どんな客観的データを追っていくのがいいのか?
それさえわからない場合が多いです。
未来のことに対応するためには
過去から現在までの情報を分析して、
これからどうなるかを
推測するしかないわけです。
もちろん、未来を確実に予測できる
科学的な根拠があるなら、
それにのっとってやればいいと思います。
しかし、現実の社会で、
未来を100%予測できる方法というのは、
私の知る限り存在しません。
未来を完全に予測することは不可能
となれば、あとどうするかは、
最終的には、人の判断になります。
つまり、
「何を無駄だと考えるか?」
「何を無駄ではないと考えるか?」
そこに尽きますね。
地震対策ということだけ考えても
そもそも地震予知など不可能だとして、
「地震予知にお金をかけるのは無駄だ」
という発想があります。
予知にお金をかけるくらいならい
地震が起きた時を想定した
津波対策や、耐震建築に
お金をかけるべきだという考え方があります。
確かにこれも一理ありますよね。
ただ、だからといって、
予知を100%無駄だと切り捨てるのも
これは行き過ぎなのかなと思います。
100%の予知は無理でも、
どのくらいの確率で起きるのか?
その地域は、どれくらい危ないか?
それくらいまでなら考えることは出来そうです。
その地震発生の確率と、
地震が発生した後の対策を
上手に組み合わせて
対策を考えていくということに
なるんでしょうね。
バランスを考えて対策を打つ
ということで、
ちょっと話が大きくなりましたが、
今日は「無駄」という言葉について
考えてみました。
「無駄を省け」
よく言われる言葉ですが、
ちょっと、立ち止まって、
「無駄ってなに?」
と考えてみるのも
時には、いいのではないかと思います。
ムッシュスカラー
PS:「無駄なことを一生懸命やることほど、無駄なことはない。」という教訓があります。でも、自分がやろうとしていることが本当に無駄かどうか、「いつ、どのように判断するのか?」とても悩ましいですよね。やる前から、「これは無駄だ」と、冷静に判断できるならいいのですが、現実は、そんな簡単な話ではありません。横から見ていれば、「それは無駄だよ!」と冷静にアドバイスできる場合であっても、やろうとしている本人は、「これしかない!」と煮詰まっていて、聞き入れられないことが多いものです。また、逆もしかりです。「これ、やった方がいいよ。」と言っても、「そんなのは無駄だよ。私は、やらない。」という場合ですね。なかなか、難しいです。