昔はこんなんじゃなかったのになあ
もっとしっかりしていたのに
どうしてこうなってしまったんだろう。
年を重ねていく両親の姿を見て
そう思わない子供というのは
いないのではないでしょうか?
あなたはいかがでしょうか?
私の両親は、健在なのですが、
やはり年を取るに連れて
物忘れなどがひどくなってきます。
腰も曲がってきますし、体力も落ちます。
それが「老い」ということなのですが
どうしても割り切れなくなる時がありますね。
本人はもっと感じている
見ている方がそうなのですから
本人はもっとそうなんだろうと思います。
なぜ、こんなこともわからなくなったんだろう。
なぜ、こんなことも出来ないんだろう。
なぜ、こんなことになってしまったんだろう。
特に、父と話をしていると
そういう悲観的な話がよくでてきます。
そういう話に対して、
「それはもう年だから割り切らないとね。」
と明るく答えてそれで済むなら
それは、それでいいのです。
でも、実際には、性格もあるんでしょうね、
なかなか納得してもらえません。
理屈ではなかなか割り切れない
会うたびに、
「なぜこんなことになったんだ。」
というような話を聞かされ続けると
そのたびに、明るい声で返しながらも
内心は「まいったなあ。」
という感じになるわけです。
こういう時に、どうしたらいいか、
あなたは何か良い回答をお持ちでしょうか?
こういうケースの考え方について
教育、メンタルトレーニングの専門家の原田隆史さんの
お話なのですが、こんな考え方があるそうですよ。
原田隆史さんのお話
若い人で、バリバリ仕事をしている人は
パフォーマンス、つまり「結果」を評価する。
ある程度の年齢になってきて、
パフォーマンスが低下してきた時には
そこまでの過程、つまり「プロセス」を評価する。
そして、年齢とともに、プロセスそのものも
十分にこなすことが出来なくなってきた時
その時にはなにを評価するか?
それは、その人の行動や結果ではなく
その人の存在そのものを評価する。
と言われています。
まあ、この場合、評価というよりも、
存在に感謝するということでしょうか?
存在そのものを評価する
そこにいてくれてありがとう。
今、こうしてそこにいてくれるだけでありがたい。
お父さん、お母さんがいてくれたからこそ
自分が今こうして生きていられる
いてくれるだけでありがたい。
それが、自分の年老いた両親を
評価することになるんだそうです。
まあ、何度も言いますが評価というよりは
感謝という意味合いの方が大きそうですね。
それなら、両親に対して、
今以上の何かを求める必要はありません。
いてくれるだけでありがたい。
そんな感じですね。
確かに、両親がいなければ
今、自分はここに存在していないわけです。
両親がいてくれたから自分がいる
そして、両親を元気づける一番の薬は
何といっても、子供の幸せですよね。
自分が幸せに生きているということなら
それがそのまま両親に対する
親孝行になりますね。
自分が毎日を充実して生きていること
こうやって生きていられてうれしい、
そう感じていることを両親に伝えること
それが、両親を元気づけることになります。
というか一番の薬になりますね。
両親には感謝だけを伝える
何もしてもらう必要はありませんね。
それよりも、自分が毎日を
活き活きとして充実して生きること
そして、それを伝えること、
それに尽きるのではないでしょうか。
あなたはどう思われますか?
ムッシュスカラー