最近のブログでも、
ちょっと触れているのですが、
時にふれて「おもしろいなあ」と
おもうことがあります。
たとえば、
「私は毎日、日誌を書いています。」
と、私の知り合いのAさんが言ったとします。
それを聞いて、私などは、
「うわあ、Aさん、すごいです。
毎日、欠かさず日誌を書くなんて、
すごい実行力だな。」
とものすごく感心するわけです。
で、何か別の機会に、
Aさんと話す機会があって
Aさんに話しかけるわけです。
「Aさんは、すごいですね。
日誌を毎日欠かさず書いているんですね。
わたしなどは、時々さぼってしまって、
毎日欠かさずということは難しいんです。」
そうすると、Aさんは答えるわけです。
「ええ、私もそうですよ。
そんな1日も欠かさずなんて、
不可能でしょう。
いろいろなことがありますからね。
どうしても書けない日は誰でもありますよ。
だから、そういう日は例外です。」
で、私がこう言うわけですね。
「ええっ、毎日欠かさず
書いているんじゃないんですか?」
Aさんが、逆に驚いたように返事します。
「ええ、お話ししたとおり、
毎日、書いていますよ。
でも、物理的に不可能な日があるでしょ。
そんな日は、誰でも書けないでしょ。
だから、そんな日は、例外です。
そんな、例外を除けば毎日です。
だから、毎日、書いていると言ったんですよ。
みんな、そうじゃないですか?
たとえば、急病で入院したりしたら、
それどころじゃないでしょ。」
と、普通に返事をするわけです。
「はあ、なるほど…。
まあ、そういわれれば、そうですね…」
というような会話で終わるんです。
いかがですか?
あなたは、どんなふうに感じましたか?
「毎日、日誌を書く」
という言葉一つとっても、
私などのように、
言葉をそのままストレートに
とってしまうタイプの人間は、
「毎日、どんな時でも、例外なく、
一日も欠かさず、日誌を書く」
と解釈してしまいます。
でも、Aさんのようなタイプの人
おそらく世間一般では、
こちらのタイプの人が
多いような気がしますが…。
「毎日、日誌を書くといっても、
当然、例外はある。
例外の日以外は、
ほぼ、毎日、日誌を書いている。」
という意味で、
「毎日、日誌を書いている」
という言葉を使っているわけです。
同じ言葉を使っているにもかかわらず
話している二人の間で、
頭に思い浮かべる
話の内容は、ずれているわけです。
同じ言葉でも人によって意味が違う
このように、言葉というのは、
わかりやすく具体的だと
思っている場合でも
案外、あいまいな部分が含まれています。
というよりも、
言葉そのものは明確であっても
その言葉が意味している内容が、
人によって微妙にずれていることが
思っている以上に、多いということです。
なので、具体的な言葉を使った
コミュニケーションさえしていれば
それで、お互いに、すべて理解できている
というのは、ちょっと無理があります。
どんなに具体的にしたとしても
言葉だけでは理解できないところ、
分かり合えないところが
実はたくさんあるということです。
言葉だけでは理解できない
数字や固有名詞を使えば
かなり改善されますが、
それでも、完全とは言えません。
言葉だけで分かり合えない部分が
本当にわかりあえるようになるためには、
何度も、何度も、何度も
コミュニケーションを
取っていくしかありません。
できれば、リアルで、
相手の体温、相手の表情、相手の息遣い
そういうものを感じながら
相手が、何を考えているか
感覚としてわかるようになるのが
ベストなんだろうと思います。
「はじめに言葉ありき」
と、言われていますが、
言葉といえども万能ではありません。
言葉は万能ではない
言葉だけでは、表せないものは
いくらでもあります。
なんとなく感じる共感、
なんとなく感じる違和感、
なんとなく感じる空気、
逆に、言葉が通じなくても
感じられるものも、ありますね。
たとえば、赤ちゃんと接するときです。
赤ちゃんは、言葉は話せません。
なので、言葉は使っていませんが
それ以外の方法で、コミュニケーションは、
出来ていますよね。
もし、言葉が使えるなら
言葉を尽くしたらいいです。
でも、それだけでは十分ではありません。
言葉を尽くしたうえで、
言葉以外の様々なものを感じながら、
コミュニケーションを
とっていくといいですよね。
ムッシュスカラー
PS:音楽、踊り、絵画、写真、彫刻、建築などなど。これらは、言葉以外のコミュニケーションです。こういうのを、言葉だけで表すのはとても難しいですよね。
PPS:言葉が使えるなら言葉を尽くしたらいいとは書きましたが、場合によっては、言葉を使わない方がいい場合もあるでしょうね。言葉をかけるより、ただ、だきしめてあげる、その方がいい場合もありますよね。