私の大好きな先生の言葉に
「桜花のごとく生きる」
というのがあります。
「桜花のごとく生きる。」
現代語になおすと、
「桜の花のように生きる。」
ということになりますね。
何もこれは、
「パッと咲いてパッと散る」
それだけのことを
言っているのではありません。
パッと咲いてパッと散るだけではない
もちろん、
ものすごく華やかなのだけれど
ものすごくはかない
という意味で、世間一般では
使われることが多いですね。
でも、もう少し、考えを深めると
次のようなイメージになります。
桜というのは、春に桜の花が咲いて
それから夏にかけて葉桜になります。
そして、秋から冬になると
葉が落ちます。
そこから春になるまでは、
木の幹と枝だけになりますよね。
人々は、秋から冬にかけての
幹と枝だけの姿を見ながら、
「春になったら見事な花を咲かせてくれよ。」
という感じで、なんというか、
桜に対して期待をするんですね。
桜の木は期待をされる
秋から冬の寒い間に
桜の木をみると、
何となくもの悲しげに見えます。
でも、私たちは、毎年、春になると
桜の花が咲くことを知っています。
今は、幹と枝だけの
寒々とした姿であっても
春になったら、
見事に立派に花を咲かせる。
そんな、期待に胸をふくらませるわけです。
そして、今、春になって
桜があちらこちらで、ほんとに
きれいな、見事な花を咲かせています。
桜の花を見ていると、
本当に、なにやら、
うれしくなってきますね。
もう一つの大切なこと
そして、もう一つ、
「桜の花のように生きる」
ということで
とっても大切なことがあります。
それは、「惜しまれる」ことです。
桜の花は見事に咲きます。
でも、それはほんの数日です。
1週間も咲き続けるというのは
あまりないと思います。
満開になったら、
あとは散っていくだけです。
だからこそ、
はかないものの象徴として、
昔から、桜の花というものが
知られてきたわけです。
「はかない」だから「悲しい」
そういう考え方もあります。
はかないからこそ惜しまれる
でも、はかないからこそ
その花を惜しむ気持ちも強い。
美しい花の姿を、
目に焼き付けておきたい。
忘れないで記憶に残しておきたい。
そんな思いで、人は桜の花を見て
桜の花を「惜しむ」気持ちを持ちます。
私たちが、毎年、
桜の花の写真を撮るのは
それがはかないから
かもしれませんね。
それが、未来永劫、
そのままの姿で、
ずっと消えないものなら
写真を撮っておこうとまでは
思わないですよね。
人も、桜の花のように散りたい。
人も桜と同じです。
人生の終わりに、周りの人から、
「ああ、ほんとに、惜しい人をなくしたね」
そうやって惜しまれるような生き方が
すばらしいのではないかということです。
人生は短い、だからこそ、美しい。
短い人生だからこそ立派に生きて
周りの人から惜しまれるように生きたい。
自分が死んでからも
「ああ、あの人は、見事に生きたね。」
と言われるような人生を送りたい。
「桜花のごとく生きる」
という言葉には、
そんな思いが込められているように
私などは解釈しています。
死と隣り合わせの昔から…
昔、今のように、
医療が発達していなかった時代
抗生物質も、風邪薬も無い時代、
人は、常に、死と隣り合わせで
生きていたと聞いています。
今日、元気で健康であっても
明日、生きている保証はない。
ましてや、来年の今頃まで
生きていられる保証はどこにもない。
まあ、極論すれば、
現代であっても、
来年の今ごろ生きていて、
桜の満開を楽しめるかどうか、
それは誰にも分りません。
だからこそ、いつ死んだとしても
「ああ、もう少し頑張っておけば…」
と後悔しないように、
人から惜しまれるような
見事な人生を送りたいものです。
見事な人生を送りたい
桜の花のように、
散った後でも、周りの人から
「あの人は見事に生きた」
そういわれる人生って、
本当にすばらしいなと思います。
なかなか、そうはいかないですが、
それでも、それを目指しています。
桜の花を見ながら、
あらためて考えたことです。
ムッシュスカラー
PS:桜の花というのは、本当に特別な花なんだろうなと思います。花はどんな花でも好きなのですが、桜は、何か特別な花のように思います。美しいけれど、はかない、あっという間に散ってしまいます。でも、「きれいだったなあ」と心に残る。そういうところが、他の花と少し違うのかもしれませんね。