静かなる絶望

「静かなる絶望」の中で
毎日を生きている人が
とっても多いんだそうです。

何となくは感じていましたが、
あらためて言葉になると
けっこう、衝撃的ですね。

でも、これは、
今に始まったことではありません。

かなり以前(1800年代)の、
米国の思想家、ソローの言葉なんだそうです。
英語では、以下のような言葉です。
“Most men lead lives of quiet desperation.”

quiet desperation
直訳すると「静かな自暴自棄」
つまり、「静かなる絶望」
と訳されています。

quiet desperation:静かなる絶望

この「静かなる絶望」というのを
聞いてピンとくるかたは
かなり一生懸命毎日を生きているかたです。

問題意識を常にもっていて
毎日をなんとか良い日にしよう、
昨日より今日は良い日にしたい、
今日より明日はよい日にしたい
そう思っている人ですね。

これまで、30年以上
会社員をやってきて
この件については、いろいろと
感じることはありますね。

いろいろと感じること

たとえば、最近はあまりないですが、
若いときには、仕事に直結する勉強会を
何度か立ち上げたことがあります。

その時に、一番の問題は
主旨に賛同する人が多い割には
現実に一緒にやろうという人が
思いのほか、少ないということでした。

「それはとっても良いことだと思う
でも、わたしは参加しない。」

もう少しストレートな言い方では
つぎのような意見が多かったですね。

なんでそこまでしないといけないの?
今のままで十分じゃないの?
しっかり給料分ははたらいているよ。
これ以上、何をさせるというの?

こんな反応が、多かったですね。
全体の半分以上の人から
聞こえてきたような気がします。

半分以上の人から聞こえてくる言葉

なので、冒頭のソローの言葉は
現在でも通用するということです。
もちろん、会社に勤めている人達は
表立って、今の状態が嫌だとは言いません。

そんなことをいうと、
上司からにらまれますからね。
でも、心の中で思っていることは
なんとなく言動にあらわれるものです。

嫌だなあと思っていることに
そんなに元気に取り組むことはできません。
取り組んでいるように見せかけることはできても
それは長続きしませんね。

「静かなる絶望」
つまりは、そんなに頑張っても
どうにもならないよ。
現実はかわらないよ。
そういうすこし斜に構えた
すねたような感じなんでしょうね。

「静かなる絶望」の実体

何があっても、自分の夢を実現するぞ!
自分の将来は、自分の手の中にある!
そういうタイプの人には、無縁の言葉ですね。

それを、表に出そうが出そうまいが、
やはり、絶望してしまってはダメですよね。
小さくてもいいので希望をもって生きていく
そっちの方が楽しいじゃないですか。

できるなら、「静かなる絶望」ではなくて
「大いなる希望」で、これからというか、
死ぬまで生きていきたいですね。

誰でも最後は死ぬのです。
だからこそ、希望は
最後の最後まで持っていたいですね。
死ぬ前から絶望していたら
もったいないですよね。

死ぬ前から絶望していたらもったいない

生きているのに死んでいるのと変わらない。
そんなのは嫌じゃないですか?
同じ生きるなら楽しくいきたい
あなたはそう思いませんか?

 

ムッシュスカラー

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