若いころから人生の先輩方から
「歴史は勉強しとけよ」
とよく言われていました。
でも、なぜ、歴史の勉強が必要なのか?
そこのところは、ずっとわからずに
若い間はすごしていました。
ようやく、この数年で(遅すぎますが…)
「なぜ歴史を勉強するのか?」
ちょっとわかってきたような気がするので
その点について、あなたにも共有したいと思います。
歴史の勉強が何の役に立つか?
それは人によって違うと思います。
今日、お伝えするのは
あくまで、私の理解です。
私が今感じているのは、
「歴史を勉強するのは、現実の厳しさを知るため」
ということです。
現実の厳しさを知るため
というのも、この年になって、
あらためて歴史を勉強するようになって
いろいろと気づきがありました。
そのひとつは、
世界の歴史というのは、
同じようなことを繰り返しながら
進んできているということです。
具体的には、
どの時代でも、様々な理想論が
提唱されてきました。
でも、それらの理想論は
どれ一つとして
実現していないということです。
どの時代であっても、
現実の社会というのは
理想の社会とは程遠いということです。
現実の社会は理想とは程遠い
とても耳障りのよい「理想的な社会」というのが、
現実の世界では、いかに危ういものか?
それが、歴史を勉強するとよくわかります。
これまでの世界の歴史の中で、
環境に配慮して、人権を尊重して
平和に、仲良く共存していく、
などということは、
ほとんどなかったということですよね。
もちろん、世界の歴史を見れば、
ごく一部の地域で、ごく短い時間だけ、
そういう理想的な社会、理想的な国が
存在したことがあったようです。
理想を求めた歴史はあるけれど…
また、理想的な世界というものを
実現しようと行動した人や国が、
まったくなかったわけではないですね。
でも、理想的な国を作るという試みは
最初は理想通りに進んでいても、
徐々に、現実の厳しい世界に
飲み込まれてしまって、
そのうちに、影も形もなくなってしまいます。
世界の歴史は、日本の歴史も含めて
映画や小説に出てくるような
「大団円」「ハッピーエンド」
なんてことは、
ほぼ、なかったということです。
もし、「大団円」「ハッピーエンド」が
歴史上の本当の現実のものであるなら
今の世の中、もう少し平和で
生活もしやすくなっているはずですね。
大団円、ハッピーエンドはなかった
そういう「大団円」「ハッピーエンド」が
現実の歴史にはない。
実は、その厳しい現実を、
みんな知っているからこそ
現実にはあり得ない映画や小説に
思わず感動するということです。
個人的にも、理想と現実の乖離というのは、
学生から社会人になったときにイヤというほど
経験したので、よくわかります。
理想と現実の乖離のために
社会人をドロップアウトしてしまった
同期の新入社員は結構多かったですね。
もし、そのころ、歴史というものを
しっかりと勉強していたら、
どうだったでしょうか?
もしそのころ、歴史を勉強していたら…
現実の社会というのが、
どれほど理想と乖離しているのか
その心の準備というのが
もう少しできたのではないかと思います。
世界は理想ではなく現実で動いている。
そして、その現実というのものは、
「正しい」も、「正しくない」も、ありません。
「正義」の定義は、人によって違います。
なので、
「正義」も「悪」も現実には無い、
そんな感じでしょうか。
もちろん法律に触れたら、それはアウトです。
でも、法律に触れない範囲では、
良心とか倫理感とかいうものは、
簡単に踏みつぶされる、
それが、現実の歴史ですね。
良心とか倫理感とかいうものが、
もっと優先されていれば、
もうちょっと、今の世の中、
生きやすくなっていたのかもしれません。
歴史を勉強すると現実がわかる
歴史を勉強すると、
世界がどれほど混沌としながら
回ってきたかがよくわかります。
その混沌とした世界のなかで、
どうやって、自分を大切にしていくか?
どうやって、家族を大切にしていくか?
そのために参考になるのが歴史です。
高校生の時に歴史を教えていただいた
S先生の口癖がこうでした。
「教科書には、こう書いてるけど、こんなん嘘やで。」
「教科書に書いているから本当だ、と信じたらあかん。」
「本当の歴史というのは、そう簡単にはわからない。」
今、思い出せば、
まさにS先生の言われた通りです。
でも、そのS先生も、
高校の歴史の定期試験では、
教科書通りの回答でないと
合格にしてくれませんでした。
S先生との会話
若かった自分は、
「えっ?先生、ここは、教科書は嘘やって言うたやん!」
と、先生に聞き返したところ、
「もちろん、嘘やで。せやけど、試験ではこれが正しい。
授業の時にも、言うたやろ。そういうもんやと思ってくれ。」
と言われました。
確かに、その先生の授業では、
「これは嘘や。せやけど、そのまま嘘や
と書いたら試験は通らへんで。」
そう言われていたことを思い出しました。
今思えば、まさに、
これも理想と現実の違いです。
若い人に、本当の歴史を知ってほしい。
それは、そのS先生の理想でした。
でも、当時の現実というのは違います。
S先生の理想と現実
当時の高校の歴史の教科書では、
その先生が嘘だと言っていたことが
正しいとされていました。
そして、その通りに生徒に教えないと
大学受験では、点が取れない、
それが現実でした。
(それは今も変わりません。)
S先生はご自身の理想と現実の間で
理想と現実の折衷案として、
上記のような対応をされていたのでしょうね。
それをS先生が、
悩みながら、教えておられたのか?
全然悩まずに、割り切って教えておられたのか?
今となっては知るよしもありません。
でも、当時の高校生の自分から見ると
S先生は、とっても自信満々で
あっけらかんとされていた印象でした。
迷いなどというものとは無縁の先生でしたね。
今、思うと大したもんだと思います。
自信満々だったS先生
当時のS先生のように
理想と現実の間で、自分というものを、
上手にコントロールできたらいいなあと思いますね。
まあ、いずれにしても、
世の中、そんなに甘くはないということです。
耳障りのよい甘い言葉、甘い話は要注意ですね。
たとえば、正義が必ず勝ち、
悪は必ず滅びるという話がありますね。
すぐ思い浮かぶのは「水戸黄門」でしょうか?
(ちょっと古いですかね…)
ああいう勧善懲悪のドラマは
スカッとして、気分がよくなるファンタジーです。
でも、残念ながらフィクションです。
現実ではありません。
そこは、しっかりと押さえておくことです。
ファンタジーは現実ではない
理想を持つことは大事です。
でも、より優先することは、
現実をしっかりと把握することです。
理想はどうあれ、
現実を冷静に把握して、
感情に流されないで、
自分が不幸の方向に向かわないように
適切な手を打っていく。
そして、その判断材料は、
歴史が教えてくれることが多い。
今日は、そんなお話でした。
ムッシュスカラー
PS:世界の歴史、日本の歴史、これらはS先生の言われたとおり、嘘が堂々とまかりとおっていることが多いですね。最近では、新しい事実が次々と出てきています。どんどん研究は進んでいるようです。
PPS:自分の高校生時代と比べれば、今は勉強しようと思えばいくらでも勉強できる環境が整っています。勉強して損はないですね。
PPPS:S先生の歴史の授業は大好きでした。でも、教科書に書いてあることを覚えるのが嫌で、高校の歴史の試験の成績はいつも悪かったですね…。