「石橋を叩いて渡る」
このことわざは有名ですね。
でも、実際には、
「石橋を叩いても渡らない」
それよりも、最近では
「石橋を叩いて壊す」
そんなことが多いと思います。
もともと「石橋を叩いて渡る」
というのは、ネットで検索すると、
壊れるはずのない強固な石の橋を、一応叩いて安全性を確かめて渡ることから、用心し過ぎるほど用心深くなることをいう。 慎重すぎる人や臆病すぎる人に対して皮肉をこめて使う場合もある。 「石橋を叩いて渡れ」「石の橋も叩いて渡れ」とも。
(インターネット「故事ことわざ辞典」から引用)
ということで、これだけでも
十分に用心深くやっているわけです。
なのに、最近では
「石橋を叩いても渡らない」
なんてことが普通です。
つまり、安全性を確かめたけど
結局、やらないことが
最も安全だという結論です。
そりゃあ、最も安全なのは
何もしないことですから。
たぶん、99%は安全だと思うけど、
100%安全だとは言えないから
やめておこうという感じですね。
で、「石橋を叩いて壊す」
これは、ネットで検索すると
いろいろな解釈が出てきます。
まだ、ことわざとして
認知されるところまでは
いたっていないのでしょうね。
3つの言葉のニュアンスの違いは
私なりの解釈ですが、
こんな感じでしょうか?
「石橋を叩いて渡る」
この言葉には、ポジティブな響きもあるし
すこしネガティブな響きもあります。
でも、結果的に「橋を渡る」わけですから
少なくとも前には進むわけです。
「石橋を叩いて渡らない」
これは、橋を渡らないということですから
前進をしない、つまり停滞を意味しますよね。
それ以外に、「待つ」
という意味合いがあるかもしれません。
いずれにしても、今は停滞ということです。
「石橋を叩いて壊す」
これは、前進の可能性を破壊する。
すなわち、前進する可能性を閉ざす。
前進することをやめるということです。
つまり、この場合、
その橋を渡るという選択肢はありません。
「橋を壊す」のですから、
「待つ」のでもありません。
「橋は無かったことにする」
そんな意味合いになりますよね。
言い方を変えれば、
とにかく安全性を極めること
リスクはゼロにすること、
少しでも安全性に問題がありそうなものは
葬り去るという感じでしょうか?
リスクが完全にゼロにならないなら
今後、一切やらない、話題にもしない
その方向には進まない
そんな感じでしょうかね?
かなり否定的、抑圧的な感じがしますね。
前にも、書いたことがありますが、
成長には必ずリスクが伴います。
リスクをゼロにすることはできません。
なので、人が成長していくためには
「石橋を叩いて渡る」という
慎重さ、用心深さを持ちながらも
ある程度のリスクは受け入れる必要があります。
何%のリスクなら「やる」
何%のリスクなら「やらない」
この判断が難しいということです。
この世の中に、
リスクゼロなんてことはありません。
成長のためには
リスクの程度を見極めること、
そして、やるとなったら
リスクに対して腹をくくること、
そこに尽きるのかなと思います。
あなたはどう思われますか?
ムッシュスカラー
PS:今日のブログでは、何もしないことが、リスクゼロと書きました。でも、現実の世界では、何もしない方がリスクが大きいということがたくさんありますね。それはまた別の機会に書きたいと思います。