「あなたは理想が高いですよね。」
と言われた時に、どう感じますか?
「そんな夢みたいなことばっかり言ってないで、
もっと現実を見たら?」
と言われたと思いますか?
「素晴らしいです。
理想を追いかけ続ける姿勢に感動します。
あなたのような情熱を常に持っていたいです。」
と言われたと思いますか?
もちろん、その時の状況、相手の表情から
現実の場面では、どちらなのか、
すぐに判断はつきますよね。
理想が高いのは良くない?
で、前者のような意味合いで言われた時に、
「ああ、やっぱりそうだよね。自分って夢ばっかりみているな。
夢見る夢子ちゃんで、何も実現できない人だよな。
そうそう、自分でも知ってましたよ…。」
そんなふうに、自分を卑下してしまうことってありませんか?
そうではなくて、
「何を失礼な。現実をみろなんて言ってるから、
ブレイクスルーが出来ないんだよ。
あんたには、言われたくないわ。
自分の夢を実現するかどうか、あんたにわかるはずがない。」
そう言って、くってかかる方でしょうか?
まあ、口では「尊敬しています」って言っている人でも
心の中では、「そんな夢みたいなこと、無理だよ、無理。」
なんて考えている人が実際には多いのかなと思います。
(ちょっとひねくれてますかね…。)
年とともに夢を描かなくなる?
人間って、年を取れば取るほど、
理想を描かなくなりがち、
夢を描かなくなりがち
そんな気がしますが、どうでしょうか?
もし、そうだとしたら、
それはなぜなんでしょうね?
それは、「これは出来なかった。」っていう、
失敗の経験が多くなるからでしょうか?
確かにそういう部分はありますね。
誰でも、年を重ねるほどに、
いろいろな経験を重ねていきます。
当然、失敗の数は多くなりますよね。
苦い体験も当然、多くなります。
だから、もう失敗はしたくない。
だから、成功することだけやっていこう。
それが、安全、安定な道だから。
安全、安定を選ぶ
これが、おそらく高齢になった方の
多くの人の考え方でしょうね。
とても自然なことだと思います。
ただ、これって、個人的には、
とても、いやーな考え方なんです。
人間、死ぬまで成長したいと思いませんか?
ある年齢になったら
成長はしなくてもいいんでしょうか?
以前、どなたに聞いたか忘れましたが、
たしか、ある教師のかた?大学の教員だったか?
記憶が定かではありません。
その方が、私に話してくれた、
理想の人生の終わり方
というのはこんな感じです。
理想の人生の終わり方
大学で、講義をしていて、
「じゃあ、今日はここからお話をしましょう。
みなさん、テキストを開いてください。」
といって教壇で、自分のテキストを
開いた瞬間にばたっと倒れる。
「先生、どうしました?」
と教室のみんなが周りに集まった時には
すでに、この世からおさらばしている。
そんな人生の最期を
理想とされているということでした。
まあ、最後まで、自分のやりたいことをして
やりたいことをしながら、人生を終える。
私も、出来るなら、
そういう人生の終わり方がいいですね。
ずっと病院のベッドの中で、
自分が何をしているかもよくわからない
ただ時間だけが過ぎていく、
そんな人生の晩年というのは、
出来れば遠慮したいなあと思います。
人生の晩年、どうありたいか?
なので、とんでもない夢物語を語り
とんでもない夢を死ぬまで追いかける。
そんな、大ホラ吹きの、とんでもない老人
になれるといいなと思います。
もちろん、周りの人には
極力迷惑をかけない
それが基本にはあります。
とはいえ、夢を見続ける老人の相手というのは
かなり大変なのかなと、推察はしています。
でも、それでも追いかけたい夢、
あなたには、そんな夢はありますか?
正直、私自身は、かなえたい夢は
あるようでないようで
でも、やっぱりあるのかな。
そんな、たよりない感じです。
「もうちょっとシャキッとしないとだめだな」
なんてことを考えているところです。
でも、そうやってあがいている方が
人間としては、健全なのかなと思っています。
「人生とはこんなもんだ。」と
悟りきった仙人のような人になる気は
今のところ、全然ありません。
ムッシュスカラー
PS:年を取るほど、失敗が増えると書きました。でも実際には、出来たこと、つまり成功体験も増えているはずなんです。成功というのは、必ずたくさんの失敗の上にあるんですが、人というのは、失敗だけ覚えていて、成功はあんまり覚えていません。まあ、たまに逆の人もおられますが…。そういうのが人間なので、ややこしいですね。
PPS:前回のブログの終わりに、「整骨院の話が続きます」って、書いたんですが、直接は続いてないですね。すみません。内容的には少しはつながっているんですが…。また、そのうちに続きます…。