「正義感」という言葉は
どういう意味合いで
使われる言葉なんでしょうか?
あなたは、「正義感」という言葉を
聞いた時に感じるのはどちらでしょうか?
ポジティブな感じでしょうか?
あるいは、ネガティブな感じでしょうか?
ちなみに、ここで言う、
ポジティブ、ネガティブというのは
次のような意味合いです。
ポジティブというのは、
「正義感」を持っているというのは
とっても、良いことだという意味合いです。
「正義感」を持っているからこそ、
正しく人生を生きられる
というようなニュアンスです。
一方で、ネガティブというのは、
「正義感」なんてものを持っているから
人生を上手に生きられない、
「正義感」なんて、必要ない
正義感なんて持たない方が、
人生を上手に生きられる
というようなニュアンスです。
いかがでしょうか?
あなたはどのように考えられますか?
そもそも「正義感」という言葉の意味は
どういうことなんでしょうね?
例によって、ググってみると、
次のように書いてありました。
「正義を尊ぶ感情。
不正なことを見て義憤を感じる気持ち。」
データ提供元: Oxford Languages
あなたの考えている通りでしたか?
だいたい、こんな感じだと思います。
前半と後半でニュアンスが違う
この定義を見て、私自身が感じることは、
前半と、後半でちょっとニュアンスが
違ってくるなあということです。
前半だけ見ていると、
「正義を尊ぶ感情」ですから、
これは、特段、問題ないと思います。
ただ、後半の
「不正なことを見て義憤を感じる気持ち」となると
これは、自分ではない誰かの不正について
義憤を感じるということになります。
そうすると、誰かを責める、
ということになりますよね。
となると、
自分だけの問題ではなくなってくる
ということになりますね。
自分以外の人が関わってくると
いうことです。
自分以外の人が関わってくる
もちろん、自分自身が不正なことをして
それに対して自分自身が義憤を感じる
ということも、ないとは言い切れません。
ただ、割合としては、
自分以外の人を責める方が
圧倒的に多いでしょうね。
で、今の世の中を考えた場合です。
いかがでしょうか?
世の中、不正なことがたくさんありますね。
(まあ、これまでもずっとあったのでしょうが…)
「えーつ!」
「何それ!」
「おかしいでしょ!」
そんなことがものすごくたくさんありますね。
特に、最近では、
新聞、テレビなどの「マスメディア」
とは異なる情報、いわゆる
「ネット情報」というのが普及してきました。
ネット情報の普及、拡大
そのために、今までは、
世間に知られていなかった
さまざまな情報が、どんどん表に
出るようになってきています。
その中には、これまでのマスメディアでは
ほとんど報道されてこなかった
不正に関する情報があふれていますね。
もちろん、ネット情報は、玉石混交ですから、
その情報が正しいかどうかは
そこは注意する必要があります。
マスメディアしかなかった時代に比べて
今のように、マスメディア以外からも
様々な情報を得られる時代になると、
人々の感情の動きは変わってきます。
人々の感情の動きが変化する
つまり、先ほどの「正義感」の定義の後半部分、
つまり
「不正なことを見て義憤を感じる気持ち」
ひらたくいうと、
「不正に腹を立てる感情」
というのが、今までよりも、
頻繁にかきたてられることになります。
そして、その感情は、人を責める、
人を批判して、人を糾弾する、
そういう流れになりがちです。
世の中がすさんでいればすさんでいるほど、
その流れは強烈です。
そのような時に、
気を付けるべきは自分の感情ですね。
気を付けるべきは自分の感情
「正義感」の定義の前半の「正義を尊ぶ感情」
これは、自分自身の感情ですから、
自分で、なんとでもなります。
もちろん、難しい部分はありますが、
それでも、自分の行動については
自分でコントロールが可能です。
問題は、後半の
「不正なことを見て義憤を感じる気持ち」
ですね。
感情の対象が、
自分以外の人に向かう場合です。
この場合、多くの場合、
その相手の行動は
自分のコントロールの外のことです。
なので、それに対して、
自分がいくら感情を使っても
その相手に対して
影響力を及ぼすことはできません。
感情を使うだけでは影響を及ぼせない
残念ながら、それが事実です。
ひらたく言えば、
怒るだけ損ということです。
もちろん、何かのかたちで、
自分の怒りの感情が、
相手に影響力を及ぼせる場合は、
それは、話は別です。
最近の時事問題で言えば、
たとえば、選挙ですね。
選挙というのは、
自分が投票することで、
自分が義憤を感じていることに対して
解決に向かう政策を示している
候補者、政党に投票することです。
結果として、その候補が当選して、
その政党が多数を占めた時に
自分が望む政策を
進めてもらうことが可能になります。
つまり、選挙というのは、
社会を変えるということについて
一般市民が持っている唯一の手段ですね。
なので、選挙で投票することは大事です。
感情を反映させる手段としての選挙(投票)
少し話がそれましたが、話を戻して、
「正義感」を持つことは大事なことであること
これは、異論はないと思います。
ただ、「正義感」の一部である
「不正なことに対する義憤の感情」について
それが、自分以外の人に向かう場合、
こちらの対応が大事です。
自分の義憤の感情が、
自分自身の日々の行動に、
悪い影響を及ぼさないように
自分自身をコントロールしていく
そういうことが重要だと思います。
「怒りにまかせて、無茶をしないように。」
という感じでしょうか?
義憤というのは、怒りの感情です。
刃物やハサミと同じで、
使い方次第だと思います。
刃物やハサミと同様、使い方次第
でも、現実の問題として、
この感情を使いこなすのは
なかなか難しいと思いますね。
「正義感」というものは、
なくてはならないものだと思います。
でも、一方で、そこから生じる「義憤」
つまり「怒り」の感情については、
冷静に、慎重に向き合う必要があります。
素直な性格の人、実直な性格の人
白黒はっきりつけたい性格の人、
そういう人は、要注意でしょうね。
ムッシュスカラー
PS:自分自身、「正義感が強すぎる」と、若い時に、先輩から、よく言われていました。「そんな夢みたいなこと考えていないで、もっと現実的にならないとだめだよ」とも言われていましたね。今なら、その意味がわかりますが、若い時には、「この先輩は、一体何を言っているのか?」とずっと思っていましたね…。
PPS:歴史を勉強すると、相手が周到に準備した挑発に対して、「義憤」「怒り」の感情のままに、戦をしかけて、結果として相手の策略にはまり敗戦する。そういうパターンがものすごく多いですね。多くの場合、「怒って手を出したら負け」というのは、歴史が証明しているようです。