正解は一つ?

テレビのクイズ番組で、よくあるパターンです。
「さて、この問題の正解は?」
ドラムロール、ジャーン
「正解は、これです!」

それを見て、「ヤッホー、正解だ!」と喜ぶか、「ああ、間違えた。」とうなだれるか、そういうのが世間一般でよくみられる風景ですね。

これが、もし「正解は、これとこれです。そして、それも正解です。あれも正解です。うん、その回答も正解です。」ってなったら、そもそもクイズにはなりません。

正解は一つだけ?

学校の試験でも、同じパターンですね。試験というのも、正解が一つだけ用意されていて、それと答えが合っていれば合格、間違えれば不合格です。試験というのはそんなもんですね。

小さいころから、学校の試験や、テレビのクイズ番組に慣れ親しんでいる私たちは、知らないうちに「一つの質問に対して、正解は一つだけ、それが世間の常識だ。」と考えてしまいがちです。

でも、現実の世界では、正解が一つであるなんてことは、ほとんどないですよね。
特に、人の育て方や、仕事の進め方、人生の歩み方など、正解は人間の数だけあると思います。

この育て方しかしない、この仕事の進め方しかない、こういう人生の歩み方しかしない、などということは、おそらくないと思いますね。

「これしかない」ということはない

あなたもご存じのとおり、人間は、100人いれば、100人とも、みんな違います。ですから、その人の課題の解決策についても、100人いれば100通りの正解があるということです。

もちろん、なかには、たくさんの人の課題の解決に通用する原理・原則のようなものはあります。ですが、その原理・原則であっても、その原理・原則の中で、その人に一番合っているバリエーションというのは必ずありますよね。

「こうしたら、誰でも必ずうまくいくよ」と言われるような方法を書いた本が、世間にはたくさんあります。でも、そんな、うまい方法というのは、現実の世界ではほとんど役に立たないような気がしますね。

必ずうまくいく方法?

事前に正解が準備されている受験や資格試験なら、これだけやればOKという対策は立てやすいですね。こういうものは別として、形も何もないところに、これから何かをつくりあげていくような仕事をする場合は、もともと用意されている正解を探すという姿勢では難しいですよね。

そこには、誰かが用意した正解はありません。どうやったらよいか、その正解を知っている人は、誰もいないということです。なにもない中に、正解を作り出していくという行動が求められるわけです。正解は自分で作るという形ですね。

そんな正解が用意されていない世界について、「メッチャ面白いやん」と考える人がいます。その一方で、正解がないのなら、やるだけ無駄だと考える人もいます。

正解がないから面白い

正解がないことを「メッチャ面白い!」と考える人は、どんな人でしょうか?おそらく楽観的で、好奇心旺盛な方でしょうね。「とりあえずやってみるか、やっていけば何かわかってくるだろう。」そんな感じなのかもしれませんね。

で、やっているうちに、「ああ、これは違うんだ、じゃあ、こっちはどうかな?うーん、これでもないか…。」ということで、立ち止まっては考える。そして、考えた結果をまた試してみる。そんなことを繰り返しながら、すこしずつ先に進むという感じでしょうか?

正解は作り出す

こういう書き方をすると、事前に用意された正解を探しているみたいですが、そもそも正解は準備されていません。だから、答えは自分が作り出すということです。

そして、自分なりに出した答えについて、「これって、正解ですか?」って聞く相手もいません。別に誰かに正解だと証明してもらう必要もないわけです。個人的には、こういうのは、窮屈さがないので、とっても好きです。

この世間を生きていく上では、世間の多くの人たちが考える正解も、少しは知っておくとよいのかもしれません。ただ、それが、かならずしも自分の正解と同じでなくてもかまわないと思います。なぜって、人間は、みんな違うのですから。

 

ムッシュスカラー

 

PS:みんな違ってあたりまえというのは、おちついて考えれば誰でもわかることです。それなのに、いざとなると、「みんなと同じじゃないといけない」ってなります。不思議ですよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です