専門家ほど頭が固い

製薬業界で勤めた経験と
自分自身という人間も含めて
人間というものを観察していて
本当によく思うことです。

つい、最近も、自分の
頭の固さに改めて
気づかされたことがありました。

それは、腰の痛みなど、
いわゆる神経の痛みに関することです。

これまでの常識として、
「神経は圧迫された時に痛む」
ということが言われていますよね。

でも、最近、出てきた理論ですが
「神経は牽引された時に痛む」
という理論があります。

で、よく、その内容を
確認してみたところ、
先入観を無しにしてみると
「おおっ、確かにそうなってる!」
ということがわかってきます。

この感覚は、
「創傷の湿潤療法」
「血糖値を下げる糖質制限」
に、初めて出会った時と、
よく似た感覚でした。

湿潤療法、糖質制限に似た感覚

もしかしたら、これは、
けっこうすごい話なのではないか?
そんな気がしているところです。

今、その理論に基づいた
エクササイズの実践を
始めたところです。

もちろん、正しいと感じても
実際にやってみたら、そうでもない
なんてことはよくあることです。
個人差というのもあるかと思います。

なので、良きにつけ悪しきにつけ
何か、結果が出たら
またこのブログでお知らせします。

さて、そういう話に出会う度に
本当によく感じることがありますね。

それは何かというと、
「専門家は、その専門について
詳しくなればなるほど
頭が固くなる(ことが多い)。」
ということです。

専門家ほど頭が固い

かっこを付けて、
頭が固くなる(ことが多い)
としたのは
もちろん、専門家の中にも、
ものすごく頭が柔らかい人も
いらっしゃるからです。

そういう人は、専門家として
どんどん未知の領域へ
物事を進めていくことができる
稀有な存在です。

そういう人は例外です。
専門家で、かつ、頭がやわらかい
という人は、少ないと思います。
いわゆる天才に近いです。
そういう人は横に置いておきます。

そういう天才は別にして
普通に努力をして、コツコツ勉強をして
専門領域の知識をしっかりと蓄えた人
いわゆる、努力して専門家になった人の場合です。

コツコツ努力して専門家になった場合

そういう人たちはほとんど
過去に蓄えられた知識によって、
次の新しいことを考えようとします。
それ自体は普通のことです。

なので、それまでには
全くなかった情報や、
それまでの常識を否定するような
新しい概念、新しい発想、新しい理論
というようなものに出会った場合、
どうしても拒絶反応が
出てきてしまいます。

これも、人間として、
ごく普通の反応です。

これまでと同じことを
繰り返していれば安全だという意識が
人間ならだれにでもあるからですね。

その結果、これまでの常識を
ひっくり返すものに対しては
どうしても、慎重になりますし、
すぐに受け入れることは
出来ないということになります。

なので、ほとんどの場合、
その道の専門家からは、
それまでの常識を否定するような
画期的な理論、方法論というのは、
出てきにくいということになります。

専門家からは画期的なことは出てきにくい

むしろ、まったく
畑違いの研究をしていた人や
その専門領域に、
それほど詳しくない人の方が
画期的な発見をしたり、
画期的な方法を発案したりする、
だいたいそうなっているようです。

私のような凡人を含めて
普通の人は、
一つの事に詳しくなればなるほど、
その専門的な知識にとらわれてしまって
それから逸脱することは
考えられなくなるようです。

さらに言えば、
コツコツと知識を積み上げていく場合、
その積み上げてきた知識自体が
間違っていた場合には、
積み上げた結果も間違っていた
ということになります。

知識を間違えていれば結果も間違う

恐ろしいことですが、
本当にそうなります。

で、間違っていたとわかった瞬間、
「それまでコツコツやってきたことが
すべて無駄になってしまった」
という、なんともいえない悲しい感覚というか
空しい感覚に襲われてしまうということです。

そんな時に、
「ああ、間違ってたんだ。
じゃあ、やりなおせばいい。」
というように、あっさりと、すっきりと
これまでの自分の過去を否定できる人は、
それほど多くはないと思います。

専門家になればなるほど、
それまでの自分を否定するのは、
難しくなるようです。

特に、それまでの業績に絡んだ
様々な人間関係、利害関係があると
もうどうしようもないくらい
過去の自分の意見を否定することが
出来なくなってしまうわけです。

専門家ほど過去を否定できなくなる

ここのところは、
天動説から地動説になるのに
とても長い時間がかかったように
今の時代でも、同じようなことは
いくらでもあるのでしょうね。

まあ、それが科学ではなくて
考え方、価値観の問題であれば、
正しいとか、正しくないとか
そういう話ではないのかもしれませんね。

ただ、考え方や価値観ではなく、
科学に基づく理論、方法論となると
より正しい理論、より正しい方法論
というのは、おそらく存在するはずです。

自分が信じていた理論、方法論が
間違っていたと感じた時には
潔くそれを認めて、
より新しい理論、方法論に
さっさと乗り換えていくのが
よりよい人生を送っていくための
適切な処世術でしょうね。

間違いを認めてさっさと改める

それまで、どんなに頑張って
長年に渡って研究してきたことであっても
残念ながら、それが間違っていた
ということがわかったのであれば
さっさと改めるべきなのでしょうね。

でも、人間、これがなかなか出来ません。
多くの人が、それまでの自分を
否定することができないで
「本当は違うんだけど…」と思いながら、
そのまま、人生を終えてしまう。

心のどこかでは、
「今までの自分を否定して、
新しく踏み出さないと…」
と思いながらです。

ちょっと怖いような、悲しいような、
でも、それが人間と言えば人間なので
本当に難しいお話だと思います。

もちろん、自分自身も、
そういうところはあります。
年齢を重ねれば重ねるほど、
そういう傾向は強くなるのかもしれません。

年を重ねるほど頭は固くなる

自分の意見を変えられないという意味合いでは、
専門家は老人に似ているところがありますね。

そうならないように、
頭は常にやわらかく、新しいことを恐れず
自分を否定することを恐れず
これからもやっていけたらなあと思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:神経が牽引された時に痛む(神経牽引理論)というのは、背骨コンディショニング協会というところの日野秀彦さんがおっしゃっています。インターネットで、情報検索すれば、豊富な情報がヒットすると思います。

PPS:ちなみに、新しい理論、新しい方法論が、常に、従来の理論、方法論よりも優れているというわけではありません。画期的と言われる理論、方法論には、当然ながら大きなリスクが隠れている可能性があります。だからこそ、より慎重に受け入れるかどうかを判断していく必要がありますね。「新しいからすべてOKとは限らない」、そこはしっかりと押さえておく必要はありますね。

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