繊細さは良くないことか?

うちの妻は、とても繊細です。
身体のあそこが少し痛い、
ほんの少し気分がすぐれない。
椅子のクッションの固さが気になる。

本当にものすごく繊細なところまで
敏感に感じることができます。

私は全く、その逆で、
いわゆる「鈍感」です。
多少、あちこち痛くても
まあ、こんなもんだろう。

椅子のクッションが
固かろうが柔らかろうが、
座れたらそれでいいじゃない、
それで人生、変わるわけじゃなし。
なんて感じです。

なので、お察しのとおり、
妻からは、よくお叱りを受けるわけです。
「えっー?信じられない。なにも感じないの?」
と、よく言われるわけですね。

妻からしたら、耐えられないほどの感覚でも
私にとっては、ほとんど感じない程度の感覚、
そういうことは、山のようにあるわけです。

で、このことの問題の本質は、
なかなか難しいです。

それはどういうことかと言えば、
「わかろうとしても、わかりようがない。」
そこに尽きます。

わかろうとしてもわかりようがない

「わからないの?」
と言われたところで、
そもそも、何も感じないので
「わかりようがない」
ということです。

でも、さすがに、30年以上
一緒に生活をしていると
感じなくても、想像はできるように
自然となってきています。

おそらく、妻は、こんな感覚を
持っているんだろうなと
これまでの経験から想像するわけです。

実際の感覚ではなくて、
あくまで、想像です。
実際に感じることが出来ないのですから
どこまでいっても想像の域を出ません。

妻のことを、完全には
理解できないにしても、
妻の感じていることを
ぼやっーと想像することは、
できるようになります。

ぼやーっと想像できるようになる

そうすると、ほんの少しだけですが
妻のことを理解できるようになります。

何度も言いますが、
妻が感じている、
本当の感覚はわかりません。
そもそも自分には
感じられない感覚ですから。

なので、どこまでいっても
本当の正解にはなりません。
そこは仕方がありません。

でも、それでも、多少は、
妻が察してほしいことに対して
近づいてきたようには思いますね。

私のような「鈍感」な人にとって
妻のような「繊細(敏感)」な人の
気持ちを理解するのは
ものすごく難しいことです。
本当にそう思います。

諦めてしまったら、それで終わり

でも、だからといって
諦めてしまったら、それで終わりです。
わからないならわからないなりに
相手のことを理解するように
自分の接し方を変えていくことは必要ですね。

変えていくというと大げさですが、
要は試行錯誤です。
「今、こんなふうに感じたの?」
「今、こう思ったの?」
「今、ここが痛いの?」
そんな会話を続けていくことです。

そもそも、相手の感覚は、
自分には感じられないわけです。
でも、だからこそ、
いろいろと話をしてみるわけです。

当然のことながら、最初は、
会話の中身は、ちぐはぐになると思います。

なんといっても、そもそもの
感性がまったく違っているのですから、
使っている言葉の中身も違っています。
なので、会話が通じるはずがありません。

感性の差は、遺伝の差

その人がもっている
「繊細さ」と「鈍感さ」の差は、
その人の遺伝の差によります。
だから、どこまでいっても
ゼロにすることはできません。

でも、会話を重ねていけば
相手が何を考えているか
よく観察して想像することで、
お互いの本来の遺伝、性格の差を
完全ではないにしても、
埋めることが出来るようになりますね。

なかなか言語化は難しいですが、
そこが、夫婦の間の距離を縮めていくための、
また、夫婦の間の距離を
これ以上、開いていかないようにするための
努力ということになりますね。

この努力をしなくなったら
夫婦の間というのは、どんどん距離が
開いていくばかりということになります。

距離を開かせないための努力

その距離が大きくなり続ければ、
そのうち、それぞれが別の道を
歩んでいくということに
なるのかもしれませんね。

それも人生の選択です。
否定はできません。
ただ、私の場合、今のところ
夫婦が、これから別々の人生を歩む
というのは考えていません。

なので、今日、書いたような努力を
ずっと続けていくつもりです。

まあ、そうはいっても、
妻に対して完全な理解はできませんし、
それに対しての努力も、
完璧というわけにはいきません。

つまり、どんなに頑張っても、
100点満点にはならないわけです。
目いっぱい頑張っても
そこそこという結果になるのでしょうね。

でも、夫婦が今よりも、
もっとわかりあえると思うと、
もっと楽しそうじゃないですか。
なので、続けていきたいと思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:夫婦というのは、性格は反対である。それが世の中の一般的な法則のようです。なので、感性も考え方も違っているというか、正反対であるというのが普通のようです。

PPS:繊細さというのは、弱さに通じるところもありますが、緻密さ、精密さという言葉もあるように、非常に素晴らしいところが多々あります。鈍感ということについても同様です。鈍感な場合は、少々の厳しい環境でも、それが気にならないでやっていけるという強さがあります。

PPPS:繊細にしても鈍感にしても、ダメな部分と素晴らしい部分、両面を併せ持っています。プラスとマイナスの両面があります。人も同じです。プラスとマイナスの両面を必ず持っています。このことに関しては、例外はありません。プラスとマイナスは表裏一体で同じものです。要はどちらが表に出ているかということだけですね。

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