そんなんウソやで

高校時代の社会科の先生で
「そんなんウソやで。
というのが口癖の先生が
いらっしゃいました。
かりにS先生としておきましょう。

今となっては、そのS先生に
社会科、特に歴史を
教えてもらったことを
とても感謝しています。

そのS先生がいつも言われていたのは
教科書に書いてあることであっても、
「それは本当に正しいのか?」
という気持ちで読んでほしい
ということでした。

たいてい、教科書を
ザーッと説明した後に、
「教科書にはこう書いてるけどな
こんなんウソやで。」
と、言われるわけです。

S先生の話を初めて聞いた時、
「教科書は間違いないもの」
と考えていた私にとっては
「えっ?なに言うてるの、この先生。」
と感じたことは言うまでもありません。

なに言うてるの、この先生

でも、そのS先生は自信満々に
「こんなんウソやで。」
というわけです。
で、さらに続けるわけです。

「君らも、ちょっと考えてみ。
この教科書のとおりやと、
世の中は、こういう動きをして
こうなっていったはずやろ。
ところが、その後はそうなってへん
ほら、おかしいと思わへんか?」

と言われて、ちょっと
考えさせられるわけです。
すると、
「うーん、そう言われてみれば、
確かに、ちょっと変かもしれない…」
S先生の言われるように疑問が湧くわけです。

疑問が湧いてくる

それが具体的にどんなことだったのか?
事例で示せればいいのですが、
さすがに、そこまでの記憶はありません。

とにかく、S先生は、
歴史に関する資料、情報に
含まれている不確実性というか
避けられないバイアスというものについて
事あるごとに説明してくれました。

だいたい、こんな感じです。

「社会科の中でも、特に歴史の話は、
当たり前やけど、過去の話やな。
過去の事実はひとつでも、
過去の記録はいろいろや。

縄文時代のような古い時代から、
もうちょっと新しくて、平安、鎌倉時代
それから、直近の明治、大正、昭和まで含めて
どの時代でもそうやで。

今までの歴史上の
いろいろの出来事について
いろいろな記録はあるけど、

本当のところはどうなんか?

そんなもん、人間のやることや、
歴史の記録が、全部正しいとか、
そんなことは、ないんやで。

せやから、教科書に書いてあることも
全部正しいわけがないというこっちゃ。
ウソが混じってるというこっちゃ。

教科書やからというて、何も疑わんと
そのまま、丸ごと
信用するのは、あかんで。」

授業では、しょっちゅう、
そんな話をされていました。
私は、ひねくれていたんでしょうか、
そういう話を聞くのが
とっても好きになりましたね。

そういう話を聞くのが好きでした

とはいえ、S先生も、
公立高校の教師という立場でしたから
教科書を完全に逸脱して授業を
していたわけではありません。

なんだかんだ言いながら
中間試験や期末試験では、
教科書通りのことを書かないと
点数は取れませんでしたね。

そのあたり、大人の対応というか
S先生も、学校の試験と授業の雑談は別、
という切り分けをしてましたね。

いずれにしても、歴史について
歴史の教科書について、
どういうものかということを
初めて教えてくれた先生でした。

よく言われることですが、
歴史の資料というのは、
その時代の為政者によって、
作れらたものです。

歴史資料は為政者が作る

もともとの「事実」が、
時の為政者によって
事実とは異なる「記録」
書き換えられることが
何度も何度も起きています。

当然、その「記録」というのは、
当時の為政者にとって
都合のいい内容になっているわけです。

つまり、そもそもの「事実」を、
そのまま、「事実」として、
ありのままに、バイアスなしで
「記録」として記載されていることは
ほとんどないということです。

為政者の意図が
強く反映された歴史の記録
それが、歴史の資料になります。

その歴史の資料の情報を
歴史の事実として、
そのまま鵜呑みにするのは
歴史を考える上では、
問題があるということですね。

歴史の資料と事実は違う

その資料は、誰が編纂したのか?
どういう立場に立って書かれているのか?
また、現在、その資料を
解釈し、解説しているのは誰か?
どういう立場で解釈しているのか?

これらのことを考えると
事実は一つであっても
その事実に関する記録、
そして記録に関する解釈は、
何通りも出てくるということです。

高校生の時に、こういうことを
教えてもらったのは、良かったなと思います。
特に、今のような時代は、
S先生が教えてくれたことが
とっても役に立っています。

特に、情報過多で、
玉石混交の情報が入り乱れている現在
S先生が言われたように
その場、その場で、
いろいろな情報について、
「ホンマにそうか?」
と、常に、物事を批判的にみる、
バイアスを考慮して事実を探る、
そんな姿勢は必要なのかなと思います。

バイアスを考慮して事実を探る

そのうえで「なるほど!」
心から納得することが出来れば、
その情報を受け入れて
素直に、まっすぐに
やっていけばよいことです。

批判的に見ることと、
素直にまっすぐにやっていくこと
この二つは相反するようですが、
実際には、裏表の関係でしょうか。

それにつけても、
S先生という、当時としては
少し変わった先生でしたが、
今頃になって、とても、感謝しています。

 

ムッシュスカラー

 

PS:こういう話は、歴史だけに限りません。現在のさまざまなニュース、SNSの情報発信など、すべてについて言えることですね。誰がどういう意図で発信しているか?視聴者にどういう情報を受け入れさせたいのか?あるいは、受け入れさせたくないのか?そのあたり、バイアスを考慮して探っていくことが大事ですね。

PPS:ちなみに、高校時代の私の歴史の成績は良くなかったです。S先生の授業はとっても楽しく受けていたのですが、教科書の中身を頭に入れるのはあまり得意ではありませんでした。中間試験、期末試験では、あんまり点数は取れませんでしたね。

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