もし明日この世を去るとしたら、それ、やりますか?

もし、あなたが、明日
不幸にもこの世を去るとわかったら
今、やっていることをやり続けますか?

こういう質問をされたら
あなたは、どう答えますか?

「もちろん!これが自分のやりたいことだから
このまま、やり続けるだけだ。」
そう、答えるでしょうか?

「ええっ!それは困る。
自分が本当にしたいことは、こんなことじゃない。
明日この世を去るなら、
こんなことしてる場合じゃないんだよ。」

そう答えるでしょうか?

あなたの回答はどちらでしょうか?

もし、あなたの回答が前者ならば
あなたはとてもお幸せですよね。

本当に自分がやりたいことを
やっているということですから。

もし、あなたの回答が後者だとしたら
うーん、ちょっと幸せというのは
厳しいかもしれないですね。

「そんな質問、あまりに極端です。
そんなこと、考えても仕方ないでしょ。」
って叱られるかもしれませんね。

そんなこと考えても仕方ない?

確かにそうかもしれませんね。
ただ、自分の人生の終わりというのが、
いつやってくるのか
それは、誰にもわかりません。

今日、健康で、普通に生活していても
明日、間違いなく生きているかどうか
それは、誰にもわかりません。

特に、日本の場合には、
地震という突然の災害があります。
東日本大震災の時も、阪神・淡路大震災の時も
もちろん、それ以外の地震の時もそうです。

また、交通事故などもそうですね。
昨日までピンピンしていた人が
急に、この世からさよならしてしまう。

ただ、よくよく考えれば、こういう話は、
なにも予測できない場合だけではありません。
突然ではない人生の終わりもあります。
というか、普通に人生の終わりはやってきます。

普通に人生の終わりはやってきます

その時期が、早いか遅いかは別として、
人間は、必ず亡くなりますよね。
永遠に生き続けることはできません。

私も、2年ほど前に、父が亡くなった時に、
「ああ、人間の命って終わりがあるんだな。」
と実感しました。

昨日まで、温かい手で
感情を持って、話をしていた人が
今日は、冷たくなって
まったく動かない肉の塊になっている。
「命がなくなるってこういうことか。」
って実感しました。

命がなくなるという実感

肉親が亡くなるところに
立ち会った方は、おそらく誰もが
感じることだと思います。

「自分もいずれ、こうなるんだな。」
そうも思いますよね。
多少なりともショックを受けるものです。
それは仕方ないと思います。

で、今日、お伝えしたいのは
「そんな時に、どんよりとしましょう。」
ということではありません。

もちろん、亡くなった方を
弔うことは大事です。
それは人として大事なことだと思います。

ただ、それはそれとして、
「じゃあ、自分は、これから
生きている間に何をするのか?
残された時間、自分はどう生きるのか?」
そこを考えたいですよね。

残り時間、自分はどうするのか?

本当に自分がやりたいことをやっているのか?
どうでもいいことに時間を浪費していないか?
今のままで、後悔することはないか?

こういうことを、自然に考えられるので
自分の命の終わりを考えるのは
有益なことだと思います。

どんな人であれ、命には限りがあります。
どんな人であれ、制限時間があります。
どんな人であれ、不老不死ではありません。

どんなにすごい人であろうが
どんなにすごくない人であろうが、
これだけは、避けられません。

この事実を突きつけられると、
自分が、今、毎日、
何気なくやっていることについて
本当にそれでいいのか?
そんなことを考えますよね。

今、やるべきこと、やるべきではないこと

今、本当にやらないといけないこと
逆に、今、やるべきではないこと

そんなことが見えてくるんではないでしょうか?

本当にやるべきことを先送りにしてしまいがちな人
(私のことですが…)
そういう人は、ぜひ考えてみられてはいかがでしょうか?

人生の終わりを考えることで、
今まで、あいまいだった自分の考えが、
クリアーになることがあります。
腹をくくれることがあるかもしれないですね。

 

ムッシュスカラー

 

PS:明日も今日と同じかどうかは、誰にもわかりません。だからこそ、今をしっかりと生きるということになるんでしょうね。なかなか実行できてませんが…。

PPS:ちょうど、今、お盆の時期ですから、こういうことを考えるのにはよいかもしれませんね。

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