好きなことをするのは努力なのか?

「努力」という言葉について、
あなたは、どういうイメージを
もっていますか?

本当は、やりたくないことを
歯を食いしばって、無理をしてでも、
何とかやっていくこと。

やったらいいと、
理屈ではわかっているけど
とても自分には出来そうもない、
でも、それでも、何とか
ものにしたいと思って頑張ること。

このように、最近では、
「努力」という言葉について、
「やりたくないことをやる」とか
「出来ないことをやる」とか
というように、少しネガティブな
ニュアンスで使われていますね。

ちなみに、Wikipediaをみると
以下のような定義が書いてありました。

「努力(どりょく)とは、
目標を実現するために、
心や身体を使ってつとめること。」
(出典:広辞苑第五版 p.1953「どりょく【努力】」)

このWikipediaの
「努力」の定義を見ると、
「心や身体を使ってつとめること」
とありますが、
「どのようにつとめるか」についての
具体的な記載はありませんね。

努力の定義は?

この定義からすれば、
自分で簡単に出来ることでも
自分で簡単に出来ないことでも
心や身体をつかってつとめることが、
「努力」ということになります。

でも、冒頭でお伝えした
「努力」という言葉の定義は
少しニュアンスが変わってきています。

「自分が大好きで、
やりたくてたまらないことを
時間を忘れてやっていく。」

そんな場合は、最近使われている
「努力」という言葉のニュアンスとは
少しずれている感じがします。

好きなことをするのは努力?

たとえば、
著名人のインタビューで
こういうやりとりを
聞いたことはありませんか?

インタビュアーが、
「すごく努力をされたんですね?」
と尋ねると、
「いや、自分が好きなことを
やってきただけです。
だから『努力』なんてしていませんよ。」
と答えるというやりとりです。

特に、最近の傾向だと思いますが、
優れたアーティストやアスリートの場合、
こういう答えをする人が
多いように感じます。

そういう人たちにとって、
「好きなことを、時間を忘れて
夢中になってやり続けること」
というのは
「努力」という言葉のニュアンスとは、
ちょっと違うということなんでしょうね。

「努力」の言葉のニュアンスが変わってきている

となると、そういう人たちにとっての
「努力」というのは、
どういう定義になるんでしょうか?

「やりたくないことを
無理にやっていく」
ということなんでしょうか?

以前、私の人生の先生から
教えてもらったことばがあります。

「やりたいことをやるのは誰でもできる。
それは、本当の意味の『努力』とは言わない。
やりたいことではなくて、やるべきことをやる。
それが、本当の『努力』ということだよ。」

本当に、その人が、やるべきことというのは、
『死んでもやりたくない』と思っていることや
『それだけは勘弁してほしい」と思っている、
そんなことだったりするね。」

「また、その逆もあるよ。
その人にとって、どうしても、
やめたくないというものがある。
でも、それをやめるべきだとわかったら、
よろこんで、すぐにやめる。
それも、最高の『努力』だよね。」

その話を聞いた時、私は思いました。
「そんなこと、出来る人が、
本当に、いるんでしょうか?」

そんなこと出来る人がいるのか?

ちなみに、
その先生は出来ていました。
どこをどうしたら、
そんなことが出来るのか?
恐ろしいくらいにすごい人でした。

まあ、その人は、別格です。
我々のような凡人の場合、
とりあえず、やりたいことを
やれるところまで突っ走ってやっていく。

そうして、もし、それで
自分の目標が達成できるなら、
それは、それでOKだと思います。

でも、現実の世界は、
なかなかきびしいです。
なかなか、自分が
思うようにはいきません。

私自身の経験でもそうでしたが、
自分がやりたいことを、
自分の思うように、
とにかく、全力で、突っ走ってやっていく、
そうすると、ある程度のところまでは、
いい感じでいくんです。

ある程度のところまではいい感じでいくが…

でも、そこから、
さらに突っ走っていくと、
やればやるほど、とんでもないことになる、
やればやるほど、状況が悪化する、
そんな経験をすることが多いです。

で、その時に、初めて考えるわけです。

「これじゃあ、だめだな、どうする?」
「自分がやりたいことをやるというのは
自分の場合は、ダメなのかもしれない。」
「じゃあ、何をしたらいい?」

ちなみに、そこまで考えるのは、
本当に、自分のやりたいことを
ものすごく、一生懸命に、
本当に、やれるだけやった場合だと思います。

「もうこれ以上は、がんばれない。
どこを、どうやっても、
これ以上は、無理!」

そう思えるくらい頑張った
という感じがある場合ですね。

そのくらいでないと、
自分という人間について
考え直すということはできませんね。

なぜかと言えば、
考え直すということは、
それまでの自分の考え方や行動を
否定することになるからですね。

それまで、「これが正しい!」と
思ってやってきた
自分の考え方、行動を、
自分で否定するというのは
なかなか出来ることではありません。

人生のリスタート(再起動)

でも、そこが、その人にとっての、
ある意味での、人生のスタートだと思います。
というか、リスタート(再起動)ですね。

自分の思うように、
やれるだけのことはやった
でも、それでもダメだった。
これ以上はどうしていいかわからない。

そういうところまで
追い込まれた時に、
初めて、自分というものを
考えるようになるわけです。

「自分の考えていることは、
おそらく間違っている。
どこを、どう間違えているのか?
自分をどう変えていくか?」

そういう発想になりますね。
つまり、「自分がやりたいこと」ではなく
「自分がやるべきこと」は何か?
それを考え始めるということです。

自分のやるべきことは何か?

そこまで行きつくと、
それまでの人生とは
全くちがった人生を
歩み始めることになります。

人生、生まれてからずっと順風満帆で、
一切の挫折を経験せずに生き切る。
そんな恵まれた人生を送る人も
ごくまれにいらっしゃるようです。

そういう人は、運が良い人、
遺伝、才能に恵まれた人、
そう思っておくのがいいと思います。
あんまりお目にかかったことはないですが…。

そんな人と、自分を
比べる必要はありません。

というか、人間、
みんな遺伝が違います。
誰一人として同じ人はいません。

みんな違うのが当たり前

生まれた時代、
生まれた地域、
生まれた時の両親、

みんな違いますよね。当たり前です。
これを運と言えば、運と言えますし、
遺伝と言えば、遺伝と言えます。

そして、これは、
平等ではありません。
みんな、違う人なのですから
当たり前の話です。

個人的には、
今の時代の日本という国に生きている、
それだけでも、
相当、運が良いと思っています。

今の日本で生きているだけで運がよい

なぜかといえば、こうやって
ゆっくりとインターネットで
情報を見ることができます。

水道をひねれば水を飲める。
ガスも電気も普通に使える。
食品もスーパーで手に入る。

夜歩いていて、
暴漢に襲われることはほとんどない。
街もゴミが散らかっていることはなくて
たいていの場所はきれいです。

こういう国は、世界中を探しても
そう多くはないということですよね。

なので、この時代に日本で生きている
というだけで
かなり運が良いということです。

その運の良さに感謝しながら、
では、その恵まれた環境で、
自分は何をしていくのか?

自分は何をしていくのか?

それを、あらためて
しっかりと考えていくこと。
それは、とても有用なことだと思います。

自分がやりたいこと。
自分がやるべきこと。

ときには、
この二つの違いについて
じっくりと考えてみるのも
いいのではないかと思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:人生、やりたいことすべてが出来たらいいなあと思いますね。でも、人生の時間というのは有限です。全部は出来ませんよね。ということは、何かを諦めないといけないということです。ましてや、やるべきことまで含めたら、ほとんどのことを諦めないといけなくなります。夢は夢として、現実を考えると、なかなかに、きびしいものがありますよね。

PS:自分がやりたいことと、自分がやるべきことが一致していれば、これほどいいことはありませんね。でも、そういう人は、ほとんどいないのかなあと思います。そういう人こそ、運が良い、遺伝が良い人だと思います。

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