あなたのまわりで
こういう会話って,
ありませんか?
「ご飯の食べ過ぎって
いけないですよね。」
「ええ?ご飯を食べちゃ
いけないんですか?」
「いいえ、そんなことは言ってません。
食べ過ぎはいけないと言ったんです。」
「ええ、だから食べ過ぎは
いけないんですよね。
ということはご飯は
食べない方がいいんでしょう?」
「だから、ご飯を食べない方がいい
なんて言っていません。
食べ過ぎはいけないって言ったんです。」
食べ過ぎはいけないから,ご飯を食べちゃいけない?
と、まあ、これはかなり
誇張した会話ですが、
たとえば,誰かに,
何かアドバイスをしたり
意見を言ったりすると,
やたら極端な反応をする人
最近,多くないですか?
「右か?左か?
そこをはっきりしてくれ!」
「100か?ゼロか?
それをはっきりしてくれ!」
「イエスかノーかどちらなのか?
それをはっきりしてくれ!」
そういう単純化というか
二元論化というか
「あんたはどっちだ?」
というような質問,
最近、多くないでしょうか?
単純化,二元論化,多くないですか?
で、私がいつも思うことは
この世の中に,
絶対にこっちが正しくて、
絶対にこっちがまちがい、
なんていえることは
そう多くはないだろうということです。
たいていの場合は、正解は
右でも左でもありませんし,
100でもゼロでもありません。
ましてやイエスでもノーでもありません。
右か左かと言われたら
その間の少し右寄りだったり
または,少し左寄りだったり、
あるいはちょうど真ん中だったり、
その微妙なバランスの中に
おそらく回答はあります。
回答は両極端ではなくその間にある
また、100かゼロかといわれたら
90くらいか、あるいは10くらいか、
または50近いところに回答がある。
すくなくとも、100とかゼロとかいう
両極端が回答になる確率は
限りなくゼロに近い、そう思うわけです。
ですが、最近の世相としては
多くの人は、ゼロならゼロ、
100なら100にしてもらいたい、
右なら右、左なら左にしてもらいたい、
そうじゃないとめんどうだ,
考えること自体がめんどうだ
何か,そう思っているように
感じてしまいます。
私だけがそう思っているんでしょうかね?
(そうであってほしいですが…。)
最近では,はっきりと
「右か左か?」
「100かゼロか?」
それを強制されているようで,
「その間でいいじゃないですか」
というのは,どうも受け入れらにくく
なってきているような気がします。
「その間でいいじゃないですか?」が受け入れられない?
家庭をとるか?仕事を取るか?
これもその一つですね。
その質問自体がおかしいです。
家庭も仕事も大事に決まっています。
ワークライフバランスと言われますが,
ワークでもなくライフでもないこと
また,ワークでもあり
同時にライフでもあることもあります。
つまり,きれいに分けられない
そういうものもあるのですよね。
バランスを考えるんだと言って
家庭と仕事を無理矢理に
分ける必要はありません。
そして、その力の入れ方
時間の配分も、
100かゼロかということで
決められるわけがありません。
なのに、家庭が大事か?
仕事が大事か?
なんていう問いに
無理矢理答えさせられることがある,
何だかなあ…という感じです。
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最近、世の中の多くの人が
自分で考えて,自分で決める
つまり,自分で自分の意見に
責任を持つという意識が
とっても少なくなってきている
そんな気がします。
自分で考える,自分の意見に責任を持つ
言い方を変えればこんな感じです。
「誰か決めてください。
正しい方法をきめてくれれば
私はしっかりとそれを実行します。」
そんな考え方、生き方が
最近では多いのではないでしょうか?
実行力もあって,真面目で
一見,良いような感じもします。
でも,これって危ういですよね。
もちろん、誰かが決めた
正しい方法というのが,
本当に正しい方法であれば
その生き方で,世間は
とっても良い方向にいくんでしょうね。
でも、そういう生き方をする前に
どの意見が正しい意見なのか?
誰が言っていることが信頼できるか?
どれが,信用に値する意見なのか?
誰が言っていることが正しいか?
それを見極めるだけの
情報、知識、判断力など
自分で養っていく必要があります。
表面的な心地よい言葉に
騙されないだけの
しっかりした見識を
身につけないといけない
そういうことなんだろうと思います。
そのためには、
いろいろな見方を知り,
いろいろな人に会って
いろいろな意見をよく聞いて,
自分の頭で考えることが
必要ですね。
そうです,自分の頭で考えることが
とっても重要なんです。
「それは本当なんだろうか?
まちがった解釈ではないだろうか?」
疑ってかかることは大切です。
健全な猜疑心は必要ですね。
健全な猜疑心は必要ですね。
もちろん、疑う必要が無いすばらしいかたも
世の中にはまれにいらっしゃいます。
でも、それは本当にまれです。
普通のかたは、私を含めて
ある部分は正しいけれど、
ある部分は間違っている、
それがあたりまえです。
それに,意図して間違ったことを
言いふらしているのではなく
多くの場合,知らずに間違えています。
そして,実は,それが一番厄介です。
悪意がない間違いってやつです。
なので、できるだけ謙虚に
人の言うことに耳を傾けて、
ただ鵜呑みにするのではなく
その意見を慎重に吟味して
取り入れるべきは取り入れ、
排除すべきは排除する。
あたりまえですが,
そういうことの繰り返しですね。
主体的に、自分の考えというのを
ブラッシュアップしていくといいですよね。
その過程では,自分自身を
疑うことも必要です。
自分自身を疑ってかかることも必要です
自分の人生は,
自分で考えて,自分で決める。
自分の人生を誰かに決めてもらおうなんて
決して考えないことですね。
ただ,誤解の無いように言っておきますが
人生に師匠と言うべき人は必要です。
「誰にも相談するな!」
なんてことは言っていません。
人生の師匠とも言うべき人に,
自分の人生について質問すること
それはとっても有益なことです。
しかし、じっくり相談して,
アドバイスをしてもらったとしても
最終的に決めるのは自分です。
お師匠さんではありません。
ちなみに、
すばらしい人生の師匠というのは
決して、「あなた,こうしなさい」
なんてことは言いません。
「こういう道もある、ああいう道もある。
こっちにいったらこうなるかもしれない。
あっちにいったらこうなるかもしれない。
さあ、決めるのはあなただ。」
そんな感じです。
もし、あなたが頼りにしている人が
あなたに
「こうしなさい、こうしないとダメだ!」
なんて言っているようなら
その人とは距離を置いた方が
いいかもしれませんね。
すばらしい師匠というのは
ほとんど指図はしません。
聞かれたら答えるが
最終的には本人が決める
そこは徹底しています。
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最後は余談になりましたが、
一度きりの人生です。
自分で考えて、自分で選びましょう。
そうすれば、最終的には
悔いの残らない人生だった!
そういうことになるんじゃないでしょうか?
ムッシュスカラー
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