「毎日、やることを詰め込みすぎて
ちょっと疲れ気味かも。」
昨日、妻と話をしていて、
自分自身について
そう気づかされることがありました。
というのも、
定年退職して、会社勤めをやめてから、
時間が自由に使えるようになりました。
なので、ありがたいことに、
自分がやろうと思えば、
何でもやれるような
まあ、いわば恵まれた環境に
今、いることになります。
でも、不思議と、
もちろん、人によるのかもしれませんが
時間があるからといって、
何もしないで、ぼーっとする時間というのが
どうも、もったいなく感じてしまいます。
なので、以前から思っていた
「あれをやりたい、これをやりたい」
そんなことを、どんどんと
詰め込んでいるわけです。
で、最初の頃は、それで、
「ああ、これも出来る、あれも出来る。」
って喜んでいたんです。
でも、最近、ちょっと違ってきました。
なんというか、歯止めが利かないというか
「あれも、これも、」
に加えて
「あっちも、こっちも、そっちも」
という感じで、
ほんとに、どっちでもいいことまで
何でもかんでもやろうと
してしまっていたようです。
何でもかんでもやろうとする
そんなことを続けていると、どうなるか?
そうですね、自分が何をやっているのか、
わけがわからなくなってくるんですね。
そもそも、本当にやりたいことは何だったのか?
今、やっているこのことは、本当にやりたいことなのか?
別にどちらでもいいことではないのか?
そんなことが、頭の中を
ぐるぐると回り始めていました。
そんな感じになると、どうなるかというと、
あれも出来る、これも出来ると、
どんどん実践していたはずが、
どれをやるのも、おっくうになってくるんです。
そして、結果的に、
どれも手につかなくなってきます。
やる前から、
「本当にこれでいいのかな?」
なんてことを考えたりし始めます。
こうなってくると、
新しいことを始めるワクワク感ではなくて
別に誰に強制されたわけでもないのに、
やらなければならないというような感覚、
いわば、変な義務感のようなものが
感情として出てきてしまいます。
変な義務感のようなものがでてくる
そうなると、全然、楽しくないんですね。
そもそも「楽しいからやろう!」と
考えていたはずなんです。
それが、いつしか、楽しいからやるのではなくて、
「やらないといけない」
と自分が決めたんだから
「だから、やらないといけない。」
というような、なんとも妙な感じで
最近は経過していたようです。
で、最近、
「やることがいっぱい過ぎて
どれも手につかないなあ。」
と、妻と話しているときに、
「なんか、疲れているんじゃない?」
と言われて、はっとしたということです。
横から客観的に見ていれば
「何を、ばかなことをやっているの?」
という感じになるんだろうなと思います。
でも、これが自分という人間ですね。
客観的にみればバカなことをしている
これも、自分の性格というか、
自分の性分というか、
理屈ではわかっているつもりなのに、
なかなか変わらない部分です。
何をするにしてもそうなのですが、
適当なところで手を打つというのが
どうもできにくい性格です。
やることがいっぱいなのであれば、
とりあえず、やることを
減らさないといけないですよね。
まずは、そこが一番なはずです。
ところが、それがわかっているのに
出来ないということなんです。
たとえば、読書を例にとると
こんな感じです。
読書を例にとると…
あれもやりたい、これもやりたいと
考えている段階というのは
本の立ち読みのような感じですね。
あっちの棚でちょっと、
こっちの棚でちょっと、
また、そっちの棚でちょっと
いろいろと本を立ち読みするわけです。
ところが、立ち読みのつもりが、
読み始めた本は、最初から最後まで
きっちりと読まないと気が済まない、
そんな性格なんですね。
なので、あっちの本、こっちの本
読み始めた本は、全部気になってしまう、
最初から最後まで読もうとしてしまいます。
なら、どれか1冊だけに決めて
まずは、その本を読み通せばいい、
そして、次の本を読み通す、
それが正解ですよね。
1冊だけ決めて読み通せばいいのに…
ところが、どれか1冊本を読んでいると
別の本が気になってくるんです。
そうすると、すぐに、そちらの本に移動して
こちらの本も、また読み通そうとする。
中途半端な状況で、
平行してやろうとするわけです。
いわゆるマルチタスクですね。
そうすると、必然的に、
一つの本を読み通すのに
余計な時間がかかるようになります。
結果的に、時間がいくらあっても
足りなくなります。
読書でたとえれば、そういう感じです。
それが、本以外のいろいろなことでも
全く同じように起こっていると
いう感じです。
仕事をしていたころは、
仕事にかなりの時間を取られます。
なので、必然的に、それ以外の
自由に使える時間というのは
今よりも、かなり少ない時間でした。
自由時間が少ないと…
時間が制限されていると、
不思議なものですが、
ある程度、自分で自分を律することが
出来るようになるんですよね。
逆に、今のように、時間が自由になると
自分の行動を律するというのは、
ものすごく難しくなるようです。
忙しい人ほど、時間を有効に
利用しているというのは、
実感としてよくわかります。
で、あれば、無理やりにでも
何か、外せない予定を入れて
時間を制限するようにすれば
いいのかもしれませんね。
となれば、結局、自分で
ある程度の時間割、
タイムテーブルというのを作って、
この時間はこれしかやらない。
この時間は他のことは考えない。
そんな感じで時間割を
作っていくのが良いのでしょうね。
時間割を作っていく
小学校、中学校、高校、大学
そういえば、どの時代にも、
時間割というのはありましたね。
完全に仕事フリーになった今こそ
学生時代に使っていた時間割というのを、
自分自身で作ってやっていくと
いいのかもしれませんね。
時間割というのは、何かを勉強するときの
案外、基本的で、良い方法なのかもしれません。
とりあえず、簡単な時間割をつくって
改めて、やり始めているところです。
ムッシュスカラー
PS:時間割というのは、マルチタスクをこなしていくときには、必須のアイテムなんでしょうね。複数のことを同時並行で実行するときに、すべて頭の中で整理出来るのは、よほど頭のいい人だけだろうと思います。頭の外に、目で見える形にしないと私のような人間には無理だろうと思います。