そんなことは、わかっていたはず
そんなことは、知っていたはず
そんなこと、知らないはずがない
というような言葉を聞くたびに
何となくいやな気持になるのは
私だけでしょうか?
わかっていたはずといっても
実際にわかってもらえなかったから
こうなっているんだよね。
知っていたはずといっても
実際、知らなかったから
こうなっているんだよね。
それを今ごろどうこう言っても遅いよね。
こうなる前に、手を打っておくべきだよね。
なんてことを、考えてしまいます。
**のはずと言われてもなあ…
というのも、「**のはず」、
というような言葉を使う時は、
たいていの場合、
つぎのようなケースだからです。
何かまずいことが発生してしまった。
「なぜ、そんなことになったのか?」
とまわりから問い詰められます。
そのときに、
「いや、私はちゃんとやってました。」
「私は、他の人にもしっかり伝えてました。」
「みんなわかっていたはずです。」
そして、さらに
「みんな、わかっていたのに、やっていない。」
「みんな、知っていたのにやっていない。」
「だから、悪いのは私ではないです。」
という意味で、この「**のはず」
という言葉が使われる事が
多いような気がしています。
何となくネガティブな感じ
私の思い込みかもしれませんが
何となくネガティブな感じがして
いい感じがしないなあと思います。
なので、もし、自分が、
「**のはず」
という言葉を使いそうになったら、
「本当にそうか?」
「本当に『**のはず』と言えるだけの事をしているのか?」
それを、あらためて、見直すようにしています。
自分自身のことを考えた時、
『**のはず』と言えるだけの事をやっていない、
そんなことの方が多いような気がします。
多くの人は、自分が言ったことは、
相手は全部覚えているはずだと思っています。
自分の書いた文章なら、
相手は全部読んでいるはずだと思っています。
相手は全部覚えているか?読んでいるか?
「1週間前に言いましたよね。」
「3日前に書いておきましたよね。」
「だから知ってますよね。」
そんな感じですね。
社内のメールも同じです。
メールボックスに届いているんだから
みんな読んでいるはずだ
本当にそう思っている人が多いです。
でも、そんなことはないですね。
メールも、みんな読んでませんね。
人が言った事を、全部覚えている人なんて
まず、いません。
それに、言ったことの内容や
書いた文章の内容がどうだこうだと言う前に
そもそも、聞いてないし、読まれていません。
内容がどうこうというまえに読まれていない
だから、たとえば、文章の場合、
いくら内容をよくしても、
そもそも読んでくれなければ
どうにもなりません。
文章できちんと伝えたければ、
内容をよくする以前に
別の手を打たないとだめです。
話にしても、文書にしても、メールにしても、
どうしたら聞いてもらえるか?
どうしたら読んでもらえるか?
どうしたら見てもらえるか?
そこを何とかしないとだめですね。
そこを考えて、手を打っておかないと
情報が全然伝わっていないかった時に
「情報は伝えていたんだから
みんなに伝わっていたはず」
というように「**のはず」という言葉が出てきます。
「伝えた」と「本当に伝わった」は別の話
伝えたということと、
本当に伝わったということは全く別の話です。
それがわかっていないので、
責任逃れをしないといけなくなるわけです。
伝える内容を練ることは、もちろん大事です。
でも、それ以上に大事なのは、
その情報をどうやって確実に伝えるかです。
伝わっていなければ、意味がありません。
しっかり伝える責任というのを、
これからはより意識していく必要があるように思います。
これが出来ている組織、出来ている人は、
本当に少ないと思います。
だからこそ出来ている組織、出来ている人は強いです。
しっかりと伝えることが出来る人、組織は強い
私自身はどうかというと、
やはり、まだまだです。
出来ていないほうに入りますね。
なので、私自身も、これから、
変えていきたいと思います。
さて、あなたはいかがでしょうか?
ムッシュスカラー