役割分担できるのが人間

日常生活を送るうえでも、
また、仕事をするうえでも、
さまざまな制約というものが
存在しますね。

自分がこうしたいと思っても、
完全に自分が思う通りには、
させてくれないきまりのようなものが
必ずあるということですよね。

もし、そのきまりが無ければ、
自分は自分の思うように、
本当に好きなように動くことが
出来るというわけです。

でも、現実の社会で、
みんなが、それぞれに、
完全に自分の思うように
動くことが出来るとしたら
それは、どんな社会に
なるのでしょうか?

どうでしょうか?
そんな社会が存在できるのでしょうか?

みんなが好き勝手に動いて
社会が機能するような、
そんな完全な自由社会というのは
実際には存在しませんよね。
それは無理な相談です。

完全な自由社会というのは存在しない

これは、逆を考えれば、
わかりやすいかもしれません。

たとえば、絶海の無人島で
周りにただ一人の人間もいない
全くの一人だけで、
完全に自給自足で暮らしている場合、

そんな場合にだけ、
完全な自由な生き方というのが
実現できるのでしょうか。

ただ、その場合、
自分の思うように、
誰からも制限されないで、
自由に生きている
というのは言葉の上だけです。

自由に生きていると言えばそうですが、
まわりに誰もいない、
完全に自給自足の生活ならば、
命をつなぐだけで精一杯のはずです。

たった一人で生活する場合、
自分のしたいことではなくて
命をつなぐためにしなくてはならないこと
それを実行するだけで
ギリギリの生活なのではないでしょうか?

一人では生きていけない

もし、あなたが、たった一人で
絶海の孤島に降り立ったとして
どうやって生きていきますか?

たとえば、人間は、
水が無ければ、1日も生き延びられません。
水があったとしても、食べ物が無ければ
数日もすれば死んでしまいます。

水道もガスも電気もない
もちろんコンビニも、スーパーもない、
そんなところで、
あなたは生きられるでしょうか?

まず、よほどのサバイバルの技術を
持っている人でない限り、
生き残ることはできませんよね。

なので、完全に一人で、
誰からも影響を受けないで、
思い通りに生活するなんてことは
実際問題として、夢物語です。

誰からも影響を受けないというのは夢物語

今、こうやってブログを書くために
パソコンを使っていますが、
これも自分で作ったわけではありません。

また、インターネットに接続していますが、
これも自分で作ったわけではありません。

マグカップに水を入れて
時々、飲んでいます。
もともと水道水ですが、
その水道を作ったのも
自分ではありません。

ラフな格好をして座っていますが、
着ている服も、机も、椅子も
自分がつくったわけではありません。

今の自分の身の回りで、
自分だけで作っているもの
自給自足できているものは
全くありません。

水道以外の、電気、ガス、道路、
交通機関などなど、
そのようなインフラも、
すべて自分以外の人が
作ってくれたものです。

このように、人間というのは、
一人で生きているわけではない
ということです。

人間は一人で生きているわけではない

人間の社会では、
上手に役割分担して、
お互いに助け合うことで
初めて、生活が成り立っている
ということですね。

でも、逆に言えば、
人間というのは、そうやって
役割分担をすることで、
他の動物が、絶対にできなかったことを
どんどん実現してきた
そういうことになりますよね。

で、役割分担するために、
人間が二人以上で、
共同生活することになれば、
それぞれが完全に自由に行動する
なんてことは出来なくなります。

たった二人でも、何等かの
ルールは必要になってきます。
3人になれば、もっと必要ですし
それが10人になり、100人になり
1000人、1万人になれば、
もっと細かいルールが
必要になってきます。

なぜルールが必要になるかと言えば、
そうしないと役割分担が
上手に出来なくなるからですよね。

役割分担のためルールが必要

みんなが自分勝手に
やりたいようにやっていると
役割分担したくても、
滅茶苦茶になってしまって、
何も前に進みません。

それどころか、喧嘩になって
お互いを傷つけあうようなことにまで
発展してしまうかもしれません。

なので、人間として生活する以上、
ある程度のルールを守る、
すなわち何等かの制約を受けるというのは
必然ということになるのでしょうね。

そして、人間である以上、
その制約の中で、どうやって、
自分の幸せというのを追及していくか、
それが人間社会を生きることの
大前提になるというわけです。

こうやって書いてみると
とても当たり前の話なのですが、
時々、こういうごくあたりまえの話が
自分の意識から、
すっ飛んでしまうことがあります。

まわりの人は関係ない、
自分一人で何でもできる、
自分だけ頑張れば、それで何とかなる、

そんな、とんでもない妄想が
頭をもたげてくることがあります。

とんでもない妄想

でも、これまでお話しした通り、
自分が、何かをしたいと思っても
何から何まで、すべてを一人で
完結させることはできません。

今、普通に生きるためには、
必ず、誰かのお世話になっています。

直接、顔は見えていなくても
必ず誰かに助けられている、
その意識を常に忘れないこと、
これは大事なことなのかなと思います。

ちなみに、
人間が傲岸不遜になる時は、
何もかもを自分がやった
すべて自分が築き上げた
そんなことを思う時だそうです。

すべて、自分の力だ!
自分は優れている!
誰にも助けてもらわなかった!

こういうことを
本気で考えだしたら、
もう、その人は終わっている、
そう考えて間違いないと思います。

必ず誰かのサポートを受けている

自分がわかっていようが、
わかっていまいが、
必ず、誰かのお世話になっている
誰かのサポートを受けている
それは、人間であれば絶対です。

人間は、生まれた時は、
全く自力で生きていくことはできません。
赤ちゃんを産まれたままの状態で、
ほったらかしにしておいたら
あっというまに生きていけなくなります。

赤ちゃんが、自分で生活が出来る
子供になるまでの間だけでも
両親をはじめ、ものすごく多くの人の
お世話になっているということです。

そのことも忘れてしまって
「全部、自分がやってきた!
成功したのは、自分の力だ!
誰にも助けてもらわなかった!」
なんてことを考えるのは
本当に愚の骨頂です。

本当に、お恥ずかしい話ですが、
高校生の頃は、それに近いことを
考えていたことがありました。

今から思えば、
なんと浅はかな、
なんと傲慢な、
穴があったら入りたい
そんな反省でいっぱいです。

人間は役割分担で生きている

ようやく、この年齢になって
「結局、人間というのは
役割分担で生きている。
上手に役割分担できるのが人間だ」
ということに
納得が出来るようになりました。

今の自分が、
どのように生活しているか?
それを具体的に考えれば
ごくごく当たり前のことです。

でも、人間、思いあがると
なかなか、そのことに、
気付くことが出来ない、
それも、また、事実です。

本当に人間というのは、
賢いのか、バカなのか、
よくわかりませんね。

ということで、今日は、
人間は役割分担で生きている
そんな話でした。

劣等感、孤独感にさいなまれた時、
逆に、傲慢になっている時、
あるいは人間関係に疲れた時、

そんな時に思い出してみると
少しは楽になるのかなと思います。

 

ムッシュスカラー

 

PS:ありきたりの言葉で言えば、周りに対する感謝の気持ちでしょうか。顔が見えている人も、また、顔は見えていなくても、とにかく、さまざまな形で、自分をサポートしていてくれる人への感謝の気持ち、それがあると、気持ちに柔らかさというか、やさしさが出てきますよね。そういう気持ちを忘れないようにしたいものです。

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