何か物事を始める決断と
何か物事をやめる決断と
難しいのはどちらでしょうか?
これだけの言葉だと
どちらが難しいか判断するのは
難しいのかもしれませんね。
でも、もう少し前提というか
条件というものを明確にすれば
判断はつきやすくなるかもしれません。
たとえば、
何かを始めるかどうかの決断の場合です。
もともと、やるべきだと思っていたが
どうしてもやりたくなくて、
今まで、ずっと避けつづけていたこと、
それを「始める」という判断をする場合
逆に、もともと、やりたくてやりたくて
しかたがなかったけれども、
さまざまな事情で実行出来なかったこと、
それを「始める」場合
この二つは、
同じ「始める」判断といっても、
難しさは全然違ってきます。
やめる場合も同じことです。
やめた方がよいと
理屈ではわかっていても
どうしてもやめられなかったこと
それを「やめる」場合
逆に、いろんな事情で、
ずっと無理して続けていて
いつやめようかと悩んでいたこと、
それを「やめる」判断をする場合
同じ「やめる」という判断でも、
明らかに難易度は違ってきます。
上記のとおり、
簡単に「始める」とか「やめる」とか
それだけでどちらが難しいか
わかるわけはないですね。
その中でも、特に
「どうしてもやりたくないことを始める。」
「どうしてもやり続けたいことをやめる。」
この二つのパターンというのは、
ものすごく難しいと思います。
どうしてもやりたくないことを始める
どうしてもやり続けたいことをやめる
「やりたい、やりたくない」というのは
これは、もう、好き嫌いの世界です。
突き詰めれば、理屈抜きの世界だからですね。
「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、理由はない。」
そんな感じです。
つまりは、その人の遺伝というべきでしょうか?
持って生まれた性格というべきかもしれませんね。
人というのは、個性があります。
全く同じ環境に生活していても
全く同じ感情を持つわけではありません。
人が違えば、同じ環境に生活していても
考えること、判断基準など、
すべて違ってくるわけです。
これこそ、理屈ではありません。
人が違えばすべて違う
同じ環境に生活していても
Aさんが思うこと、感じることと、
Bさんが思うこと、感じることは
同じにはなりません。
それは、その人の個性というか
遺伝、性格によるものとしか
いいようがないですね。
「これをした方がよいですよ。」
と、周りから言われたとしても
その人の遺伝、性格から考えて
「どうしても、やりたくない。」
「どうしても出来ない。」
そんなことは山のようにあるわけです。
逆に、その人の遺伝、性格からして
やめた方がよいと、理屈ではわかっていても
「どうしてもやめたくない。」
「どうしてもやめられない。」
そんなことも山ほどあるわけです。
理屈だけでは、動けない
「理屈だけでは動けない」
そんなことが、山のようにあるわけですね。
言い換えると、
「その人の遺伝によるもの」
「その人の性格によるもの」
これを変えるのは、
そんなに簡単なことではないということです。
ほぼ不可能と言っていいのかもしれません。
となれば、
その人の遺伝に沿って、
その人の性格に沿って、
何を選択して、どう行動するのがよいか、
それを、判断していくしかないですね。
「一般的に何が正しいか」
「常識的に何が正しいか」
ではなく、
「その人にとって、何が正しいか」
そのあたりを探っていくのが
その人にとって、正しい行動を
選択するためのポイントになりそうです。
その人にとって「正しい」こと
ちなみにここでの
「正しい」という言葉の定義は
世間一般の人が考える「正しい」ではなくて
世間一般のことは横において、
「その人の人生にとって、有意義である」
「その人の成長にとって、プラスである」
そんな意味合いです。
(それでもちょっと抽象的ですが…。)
そもそも「正しい」とか「正しくない」
という言葉の定義自体が人によって異なります。
人が100人いれば、
100通りの「正しい」があります。
なので、100人の人すべてにとって
「常に正しい」などというものは
ないんだろうと思います。
人というのは、みんな違います。
一律の価値観というのもありません。
「ある人にとっては、正しくても
ある人にとっては正しくない。」
それが普通であり、自然です。
ちなみに、そのことを踏まえて、
毎日の生活を送ることが出来れば、
「人に対して腹を立てることも
多少は少なくなるのかな?」
なんてことを、時々、思います。
ムッシュスカラー
PS:今日の話も、ほとんどは、個人的な人生の先輩からの受け売りです。ここまではっきり言う人は少ないのかもしれませんね。でも、私自身はとっても腹落ちしているお話です。あなたの参考になれば幸いです。